現時点では、まだ正式な学問になっていません。
北岡は、現在、「メタ心理学研究所」を創設しようと考えていますが、これは、プロの学者を含む、さまざまな分野の学際的学術的な研究所であると同時に、産業界にも貢献することを見据えたシンクタンク的な組織になることが予想されます。
ちなみに、北岡は、以前、NLP 共同創始者のジョン グリンダー氏に「これだけ世界に広がってきている NLP ですが、特に、国内の方々から、なぜ大学レベルの学会がないのか、という指摘をよくもらいます。特に、NLP 共同創始者のお二人の師匠だったグレゴリー ベイツン (「ベイトソン」の表記は誤りです) は、UCSC (カリフォルニア大学サンタクルーズ) のクレスゲ カレッジで教鞭を取っていたわけですから、UCSC を拠点に学術的な学会を作らなかったのは、どうしてですか?」という質問をしたことがあります。
同氏は、「NLP のような『枠から出る』ための方法論は、極めて革新的である一方で、大学という場は、師弟関係が厳しく、極めて保守的なので、学会など作ったら、私とバンドラーが達成してきたこれまで業績は、すべて、不可能だったと思います」という趣旨の回答をされました。
北岡自身、グリンダー氏からこのコメントをいただく以前から、同氏のスタンスを踏襲してきています。
たとえば、北岡は大学時代、仏文学を専攻していましたが、当時の同級生の二人は、その後、大学院に進み、佐賀大学と早稲田大学の教授になりました。北岡は、大学院等に行ったら、「超左脳的人間」になって、自殺しかねない、と思い、1981 年の卒業と同時に、アフリカ北岸のサハラ砂漠に行き、仏語通訳として、3 年間滞在しました。その間訪問した、砂漠の中に佇む 2,000 年前のローマ遺跡等の壮大さ、悠久さは、北岡の人生に大きな影響を与えています。
(北岡が訪れたローマ遺跡の一つ「ティムガッド」の紹介ビデオが、以下で閲覧可能です。
英国滞在時の 1988 年に、グリンダー氏の元で NLP を学び始めた後も、特に大学で研究することなく、もっぱらセラピーとコーチングの「臨床的ワーク」に従事することに専念してきていました。
日本に帰国した 2001 年以降、二十余年にわたって、「臨床的実践者」として NLP ワークを提供してきていますが、この実践的試行錯誤が、北岡が「メタ心理学」を提唱することに関して、計り知れないノウハウの蓄積をもたらせてくれた、と考えています。
「メタ心理学」は、北岡自身が生み出したものなので、世界に広く訴求させるためにも、何らかの形で、今後、正式な学問にしたい、とは思っています。
この「メタ」の名称は、特に、1) 最近 Facebook 社が Meta と名前を変更したことと、2) 歴史的経緯として、1975 年の創始時に、NLP にはまだ正式名称がなく、当時「メタ心理学」(あるいは「メタ メソッド」) という通称が使われていたこと (この事実は、1980 年刊行の、北岡が翻訳した NLP 入門書『Magic of NLP』の「まえがき」で確認可能です) の二点において、大きな意味合いをもっていると思います。
たとえば、北岡は、「シリコンバレー文化の源泉は何か?」という問いに対して、国内の IT 関係者はまともな答えができないということを耳にしたことがありますが、欧米では、その答えは「『カウンターカルチャー (対抗文化)』すなわち『ヒッピー文化』にある」であることは、周知の事実です。
さらに、「GAFA」 (Google、Apple、Facebook、Amazon) の本社は、すべて、西海岸にある (あるいはあった) 事実を念頭に置いている日本人はあまり多くないと思われます (実は、最近の新語の「GAFAM」の最後の会社の Microsoft も、さらには、Starbucks も、すべて、西海岸発祥の企業です)。
すなわち、GAFA 文化の源泉は「西海岸文化」(「対抗文化」とほぼ同義語です) にあることは、誰も否定できない事実である一方で、シリコンバレーの近郊にあるサンタクルーズ市で (西海岸文化最盛期の 1975 年に) 生まれた NLP は、「西海岸文化の『権化』としての心理学」であるという定義が可能です。
過去、欧米に 20 年間滞在し、米国直伝の NLP を研究/実践してきている北岡にとって、「GAFA の源泉 (の、少なくとも一部) が NLP である」という主張は、大袈裟でも何でもありませんが、西海岸企業文化の背景と歴史に無知である国内の方々にとっては、「突拍子もない我田引水の誇大妄想」としか映らないと思います。
この状況の中、北岡は、自身の集大成としてのライフワークを、今後、「メタ心理学」と呼ぶことによって、「GAFA の源泉は NLP である」という事実を広く周知させていくことにした次第です。この目的で、「メタ心理学」と「メタ心理学者」の商標登録出願を行いました。
「メタ心理学」は、これまで北岡が使ってきていたネーミングのすべての意味合いを包含しえていますが、もう一点、ここで指摘しておくべき点は、北岡の過去 40 年間の研究によれば、NLP と印哲のヴェーダンタがほぼ同じことを主張していて、特に、NLP で言う「メタ」と ヴェーダンタの「Witness (観照者、観察者)」は全くの同義語である、という事実です。
結論としては、語弊を恐れずに言うと、「メタに抜ける」ということは、「現象界から抜けて神的意識に抜ける」ということを意味していますが、これは、「ボックス (既成枠) から出る」ということと等価です。
西海岸文化圏の人々は、60 年代から、瞑想等の内省を通じて、「メタに抜ける」ことに長けてきていますが、その「自己観察」を通じて、継続的に「ボックスから出る」ことが可能になり、その結果、最終的に GAFA のような未曾有の組織を生み出すことに成功したのは、さもありなん、とも言える社会的進化でした。
一方で、「シリコンバレー文化の源泉」が何であるかもわからない日本人が、イノベータになれるはずはありませんが、幸いなことに、北岡の「メタ心理学」メソッドは、短時間で、西海岸文化圏の人々の思考パターンをモデリングすることが可能になっているので、潜在性のある日本人が、今後、「メタ心理学」メソッドを通じて、GAFA クラスの人材あるいは組織を創出し始めることも不可能ではない、と北岡は考えています。
国内の NLP は、西海岸文化を知らない先生たちが教えているので、「悪意のある操作」としてのビジネス スキルとしてしか評価されてきていない嫌いがあります。
一方、欧米 (特に米国西海岸) では、60 年代から西海岸文化の伝統が根付いて、綿々と継承されてきています。
その中で、60 年代に跋扈したマズローの「人間性心理学」を元にして、セラピー、催眠、瞑想、変性意識の研究として、「トランスパーソナル心理学」が生まれました。
国内のビジネス界でも、近年、トランスパーソナル心理学の代表的論客のケン ウィルバーが提唱する「四象限」のモデルを元にした「ティール組織論」や「成人発達論」が広く論じられてきています。
同様に、NLP も、「人間性心理学」を元にして、セラピー、催眠、瞑想、変性意識の研究として、1975 年に西海岸で生まれた歴史的事実があり、北岡の私見では、GAFA の創始者たちは、直接的・間接的に、トランスパーソナル心理学と NLP に強い影響を受けてきています。
このことが日本に知られていないことを表す象徴的なこととしては、シリコンバレー文化の源泉が西海岸文化 (いわゆるヒッピー文化) にあることは、欧米では周知のことですが、国内では IT 関係者のほとんど誰もその認識がないように思われる事実が挙げられます。
上記の意味で、北岡は、極めてユニークな形で、西海岸文化的思考形態と日本的思考形態のギャップを閉じることができるようになっています。
はい、本「特別限定オンライン『メタ心理学』ワーク」は、NLP の経験がなくても、受講可能です。
本ワークは、NLP あるいは、コーチング、セラピー、カウンセリング等の手法を学んで、最も大きな効果を達成するための「汎用的基本技能」を提供していますので、特に NLP を学んでいる必要はありません。
さらに言うと、NLP、コーチング、セラピー、カウンセリング等とは無関係の方々であっても、いかにすれば高質な人生を送れるか、あるいは、いかにして「個人的天才」になる (「業界の第一人者になる」あるいは「化ける」) かのためのノウハウを獲得するために、本ワークを受講していただくことも可能だと、北岡は考えています。
「体験紹介セッション」は、北岡の人となりを知っていただくために開講しています。
所用時間は 1H30 から 2H 程度で、オンライン Zoom セッションとなります。
「体験紹介セッション」では、主に、北岡が「メタ心理学」の一環で独自開発した「明鏡止水ワーク」(「ピーク エクスペリエンス体感ワーク + RPG ゲーム」ワークの合体テクニック) が施術されます。
北岡は、2020 年初頭に「コロナ禍」が始まって以来、その個人セッションを、ほぼすべて、オンライン (Zoom) で開講してきています。
これまで約 400 回以上のオンライン セッションを提供してきていますが、北岡は、現在、オフラインのワークで達成可能なものは、ほぼすべて、オンライン ワークで達成できる、という意見をもっています。
それどころか、オフラインでは、自分の顔が見えないが、オンラインでは、自分の顔が見えて、その上で、自分の表情、動きがクライアントの中にどういう反応を引き起こしているか、リアルタイムで観察できるので、北岡は、オンライン ワークの方がオフライン ワークより優っているのではないか、という私見までもっています。
オンライン ワークを開講するための最大のノウハウは、北岡は、クライアントの方の、「方向感覚を司って」いる「海馬」さえ「勘違い」すれば、オフラインとほぼ同じあるいはそれ以上の結果をオンライン セッションで達成できることにある、と考えています。
海馬を勘違いさせる方法については、北岡が開講するワークの中で、クライアントの方にお伝えさせていただきたいと思っています。
「汎用メタトレーニング」とは、NLP あるいは、コーチング、セラピー、カウンセリング等の手法を学んでいる方々に、北岡が、それらの手法を効率的に身につけると同時に、そのクライアントに対して多大な効果を達成するために必要な、コンピュータの OS 的な役目を果たす「基本テクニック群」を伝授するワークのことを指しています。
北岡は、2012 年から現在まで「エグゼキュティブ ライフ コーチング」サービスを提供してきていますが、その中で、日本人の方々は NLP を通じて、欧米のように、「大化けする」方々が多くない事実の理由を突き詰めることができました。
その最大の理由は、日本人は「現実は、いっさい変えることができない」一方で、欧米人は「現実を仮想現実化できている」というパラダイムに生きていることです。
あえて言うと、前者は、三次元の空間が厳然と存在していて、そこにオギャーと生まれ、そしてそこから立ち去っていくというふうな、400 年前の「デカルト/ニュートン」のパラダイムに今だに生きていて、後者は、20 世紀以降の量子力学的なパラダイムに生きることが可能になっていて、「『現実』は外界にあって自分自身の知覚経路を通じて知覚されるものではなく、むしろ、瞬間から瞬間へと自分自身が継続的に、積極的に構築するものである」という「実証的構成主義」の哲学的モデルを実生活で実際に体感できながら生きていることが、両者間の最大の認識論的な相違点ではないか、と北岡は見ています。
(この意味において、北岡は、1975 年に「認識論的化け物」として創始された NLP は、20 世紀初頭に生まれた「量子力学によって『臨床界』に産み落とされた『落とし子』」ではないか、と考えています。
その意味で、般若心経の「色即是空 空即是色 (現象界は空そのものであり、空は現象界そのものである)」の世界を体現できているのが、実は、仏教徒の日本人でなく、キリスト教徒の西海岸文化圏人である、というのは、冗談で終わらせることのできない最大の皮肉ではないでしょうか。)
この発見をした北岡は、日本人がこのことを克服することを可能にする「RPG ゲーム」ワーク (「現実を仮想現実化するワーク」) を独自開発しました。ある経営者のクライアントの方は、このテクニックの施術後、自身の会社の売上が 8,000 万円から 4 億円に増えました。
その後も、「ピーク エクスペリエンス体感ワーク」、「明鏡止水ワーク」(「RPG ゲーム」と「ピーク エクスペリエンス体感ワーク」の合体版)、「曼荼羅フラクタル リエンジニアリング (MFR)」、「鏡の国のアリス」、「Meta Meta Work」、「刺激と反応の間にスペースがある」、「サルバドール ダリの燃えるキリン」等のテクニックを独自開発し続けてきています。
これらのテクニックは、北岡が提唱している「メタ心理学」の臨床面での核心部分を構成していて、本「特別限定オンライン『メタ心理学』ワーク」で、クライアントの方々に、紹介・施術されます。
編集後記: 本 FAQ については、ある方から、「北岡の独自開発ワーク (すなわちメタ心理学ワーク) を受けずに、NLP ワークを受けたらどうなりますか?」という関連質問を受けました。北岡の回答は、次の通りでした。
メタ心理学ワークを受けずに、NLP ワークを受けた場合、自分の人生が「少しだけ」豊かになることがあっても (このことを、北岡は、「水平的変化」と呼んでいます)、GAFA の創業者級の「著しい変化」、「自分の枠からの脱却」、「異次元のイノベーション力の獲得」といった、北岡が「垂直的変容」と呼んでいる変貌が起こることは期待できないと思います。
すなわち、メタ心理学ワークは、NLP を通じて「抜本的変容」が生まれるために必要な「西海岸文化的思考パターン」をモデリングしたワークなので、その思考パターンを獲得しないまま、NLP を含む「自己変容のための方法論」を身につけても、特に何も目立った変化は起こらない、というのが、2001 年の帰国以来、二十余年間の北岡の実際の臨床経験の後の「比較文化」的な結論です。
すなわち、「NLP を通じて大化け」するためには、まず、「FAQ23: 『認識的拡張主義式』について」で言及されている「認識的拡張主義」のマインドセットをもつ必要があります。言い換えれば、15 世紀にアメリカ大陸を発見した西洋帝国主義者すなわち認識的拡張主義者の「末裔」である西海岸文化圏の人々であるからこそ GAFA を創業できたわけであり、そのマインドセットが欠如していた 15 世紀のアジア帝国主義者 (「既存枠の水平的拡張主義者」と定義可能です) の末裔である日本人が、認識的拡張主義的マインドセットを獲得しないまま NLP を受けても「それほどたいしたことは起こらない」というのが、北岡の見立てです。
もちろん、北岡が示唆している「西海岸文化圏の人々」が過去 60 年間経てきている「内的変容」がどんなものであるかについては、どれだけ筆舌を尽くして解説しても、「象を見たことのない人に象をイメージしてもらうこと」と同じくらい、伝えることに不可能性があるのですが、まず、メタ心理学ワークが過去 60 年間の日欧の思考パターンのギャップを閉じることができるという北岡の主張が本当に妥当かどうか、体験セッション等で実際に自身の目で確かめていただきたいです。
この場合、北岡は、「懐疑主義者」を歓迎いたします。というか、むしろ、懐疑主義者しか歓迎いたしません。北岡自身、過去四十年間懐疑主義を貫いてきていて、NLP を含めて、「どれだけ否定しようとしても、どうしても否定しきれないもの」だけを取り入れてきています。
ある時、非常に懐疑主義者の方がいて、北岡がこの方に「NLP 諸前提」演習を施術させていただいた時、6 つある手順のうち 3 つ目くらいまでは「何の変化も起こっていません」とおっしゃっていましたが、4 つ目の手順になった時、「北岡さん、これはずるいです」とおっしゃって、最終的にはこの演習が内的状態に「実際に」著しい変化が起こすことを「認めざるをえなく」なりました。
北岡は、NLP を通じて、劇的な変容を体験するには、「究極的な懐疑主義者」であり続ける必要がある、とまで思っています。本来的な NLP は、「徹底的な懐疑主義」の試験にも合格するものであると思っていますが、15 世紀のアジア帝国主義者の末裔である日本人が通常「徹底的な懐疑主義者」にはなりきれないこと自体に、どれだけ NLP を学習/実践しても「大化けしない」ことの極めて逆説的な原因が隠されていると思います。
「ピーク エクスペリエンス体感ワーク」は、北岡が 4 年半前に、整形外科の先生と共同開発したテクニックで、自分自身が現実だと思っていたものは、実は、仮想現実だった、ということが体感できるワークです。
すなわち、まず自分の天命を知り、その天命の状態から物事を見ることができるようになった後、24 時間の日常で起こっている事象を、天命という別の視点から眺めると、意味合いがまったく異なるようになり、そのことで「現実を仮想現実化」することができるようになります。
ちなみに、「RPG ゲーム」と「ピーク エクスペリエンス体感ワーク」を組み合わせたワークも効果が極めて高いですが、これを、「明鏡止水ワーク」と呼んでいます。
「チョイスポイント (選択点)」は、NLP の極めて重要なモデルで、北岡が 1988 年に NLP を学習しようと思うようになったきっかけは、このモデルに衝撃を受けたからでした。
「チョイスポイント」は、美術館巡りアプリの「視点が (上下左右および前後に) 動くカーソル」あるいは、Google Map の 360 度回転できる各ポイントのようなものですが、NLP 共同創始者のジョン グリンダー氏は、北岡が初めて同氏のワーク (1988 年英国ロンドン市で開講された「個人的天才になるための必要条件」ワークショップ) に接した時、「チョイスポイントは、現実にもある」とおっしゃいました。
この意味は、ある時点で、人は、子供の頃は、本来は多くの選択肢をもっていて、柔軟に動けたはずなのに、大人になる過程で、それらの選択肢がすべて落ちて、たった一つの行動パターンしか取れなくなっている、ということです。
たとえば一例ですが、ある人が話している時、身振りの動作として、無意識的に両手を広げて話す際、幼児期は (具体的には、4 歳児までは)、片手だけを動かす、両手を上方に動かす、両手を下方に動かす、片手を上方に動かし、もう一方の手を下方に動かす、まったく動かさない、その他の (ありとあらゆる) 選択肢を選べたのに、該当の選択点で一つの動作を選び続けることが習慣になってしまった結果、他の選択肢をいっさい選ぶことができなくなり、かつ、自分がその選択点でたった一つの選択肢しか選んでいないこと自体が無意識化されていて、自分が「ロボット人間」であることに気づかなくもなっています。
1988 年にグリンダー氏から教えられた「チョイスポイントは、現実にもある」という洞察で、北岡は、「自分は、これで、とうとう、生まれた時から入り込んでいた『蟻地獄』から自己解放できる。場合によっては、『悟る』こともできる」と確信し、NLP の学習と実践にコミットすることを決意した次第です。
NLP の最重要な機能は、NLP 学習者あるいは NLP 施術者のクライアントが、選択肢がなくなってしまっているチョイスポイントにおいて、複数の選択肢を選べるようになることを通じて、その人がさらに柔軟な行動/思考パターンが取れるように支援することにある、という定義に要約できる、と思います。
ちなみに、「チョイスポイントがない」(これは、「チョイスポイントで選択肢が一つしかない」という意味です) ということは、次項の「FAQ11」で解説されている「刺激と反応の間にスペースがない」と同義です。さらに、北岡は、悟った人は「刺激と反応の間に無限のスペースを入れることができる人」だと、考えています。
また、北岡は、NLP の中で最重要なモデルは、「アンカーリング」(人間心理に応用された「条件反射」) だと考えていますが、重要度がそれに比べても劣らないと見ているモデルが「チョイスポイント」です。つまるところ、「アンカーリング」とは、ある「チョイスポイントで選択肢が一つしかない」状態そのものを意味しているからです。
北岡は、著名なコーチであるスティーブ コヴィー氏の『7つの習慣』を読んでいたとき時、同氏が 1 年間のハワイでの休暇執筆中に起こったことだという、以下の文章に出会いました。
「ある日、私 [コヴィー氏] はオフィスの近くにある大学に出かけて行き、図書館の奥に山積みになっていた古い書籍の間を歩いていた。やがて私は、その中の一冊に大変興味を引かれた。棚から取り出して開いてみると、ある一節が目に止まった。そして、そこに書いてあった言葉が、私のその後の人生を変えることになった。
私は、何度もその文章を読み返した。そこに書かれていたのは、要約すれば、刺激と反応の間にはスペースがあり、そのスペースをどう生かすかが、私たちの成長と幸福の鍵を握っているということだった。
その考えが私にどれだけ大きな影響を与えたか、表現する言葉もない。自分の将来は自分で決められると教育されていたが、この『刺激と反応の間にはスペースがある』という表現の仕方はとても新鮮であり、かつ信じられないほどの強い力をもって私の脳裏に刻み込まれた。そしてそれは、まるで『はじめて真実を知った』ような、『自分の中に革命が起きた』ような、『時至れり』というような思いであった。」
北岡自身、この文章を読んだ時、「刺激と反応の間にはスペースがある」というステートメントは、あまりにも強烈で、奥義的だと思いました。そのためにこそ、コヴィー氏は、この一文の引用元を明らかにしていないようにも思いました。
北岡は、当初は、この引用元はどうもヨガ・瞑想関連の本であるように思えましたが、現在もっている情報では、最初にこの金言を発したのは、アウシュビッツ収容所の経験者だった精神分析家のヴィクトール フランクルだったようです。
「刺激と反応の間にスペースがある」は、前項の「FAQ10」で解説されている「チョイスポイント」と密接な関係があります。
北岡自身の定義として、「西海岸文化」とは「21 世紀の怪物である GAFA とその背景的心理学となっている NLP を生み出した『カウンターカルチャー』すなわち『ヒッピー文化』」のことを意味しています。
たとえば、「シリコンバレー文化の源泉は何か?」という問いに対して、国内の IT 関係者はまともな答えができないということを耳にしたことがありますが、欧米では、その答えは「西海岸文化にある」であることは、周知の事実です。
思うに、「GAFA」 (Google、Apple、Facebook、Amazon) の本社は、すべて、西海岸にある (あるいはあった) 事実を念頭に置いている日本人はあまり多くないと思われます (実は、最近の新語の「GAFAM」の最後の会社の Microsoft も、さらには、Starbucks も、すべて、西海岸発祥の企業です)。
一方で、シリコンバレーの近郊にあるサンタクルーズ市で (西海岸文化最盛期の 1975 年に) 生まれた NLP は、「西海岸文化の『権化』としての心理学」であるという定義が可能です。
一点、極めて皮肉なことなのですが、60 年代、70 年代の西海岸文化の権化の一人だった、LSD を世に広めたティモシー リアリーは「次に来る時代は『サイバースペース』だ」と言った点です。
彼の予言通り、20 世紀終わりから 21 世紀初頭にかけて GAFA (もしくは「GAFAM + イーロン マスクのテスラ」) が全世界を凌駕し、国内の大企業がこぞって IT、IOT、VR、AR、AI (そして、最近の ChatGPT に代表される「生成系 AI」である) GAI 等のツールについて語り、かつ IT ネットワークのインフラ整備に巨額の投資をしてきていますが、その元は、すべて、誰も表立って明らかにしませんが、西海岸文化、特に「ドラッグの提唱者」にあった、という事実です。
また、昨今話題になっている LGBT、SDG's の起源も西海岸文化にあることは、言わずもがなですが、いったいどれだけの日本人がこの事実に気づいているのでしょうか。
(ちなみにですが、ごく最近、極めて興味深いことが起こったので、ここにその詳細を追記させていただきます。
別々の機会に三人の方々と、「カウンターカルチャー」の一端である「ウーマンズリブ」 (「女権拡張主義運動」のことです) のことについて話をしていた時、「女子テニスの歴史を通じて最高の偉人の一人で、レズビアンであることをカミングアウトした『ビリー・ジーン・キング夫人』が、当時、ウーマンズリブ運動の権化的アイコンでした」という事実を指摘させていただきました。
これについては、まず、以前、30 歳代の男性に「ウーマンズリブ」の言葉を伝えたら、「それは、スペアリブの一種ですか?」と聞かれたことがあります。
また、仮にもしキング夫人のことが「国内の現代人」に伝え継げられてきていないとしても、さすがにこのことは知っているだろうと思い、
「実は、50 年くらい前までは、英語では、三人称単数の人を指す時、明らかに該当の人が女性であることがわかっているケースを除いて、常に『he』が使われていたのですが、その後、『he or she』という表現が使われ始め、その後、この煩雑な表現を短縮した『s/he』も見られるようになりました。近年、著者 (男性、女性は問いません) によっては、男性を指す場合であっても『she』を使うことがあり、この場合は、通常、『前書き』等で『本文で「she」が使われている際、性別は関係ない三人称単数を意味しています』という但し書きが付けられています。」
という、欧米では「誰でも知っている」ようなごく常識的な事実を伝えたのですが、該当のそれぞれ三十代、四十代、五十代の三人とも、「そのことは知りませんでした」とおっしゃいました。
要は、英語で「何百年にも渡って!!!」、「he」が使われていた、極めて保守的な言語的習慣が一挙に 50 年前くらいに打破されたわけですが、そのほぼ唯一の原因は 60 年代のウーマンズリブ運動の台頭のおかげだった、ということになります。
思うに、今、現代人が「ごく当たり前」だと思っていることの源泉を辿ろうとしない「GHQ の洗脳下」にある日本人の思考パターンは、子供の頃 4 歳時までに「意識的」に作り上げたプログラミング群が大人になってすべて無意識化された後、結果として残っている現在の行動パターンには目に見えないプログラミングがあることに気づき、そのプログラミングを変えることで自分の望まない行動を変える、ということができていないままでいること、にも当て嵌まっているようです。)
ちなみに、西海岸文化の起源は、1930 年代、1940 年代に、スイスで起こっていた、菜食主義、ナチュラリズム、ヌーディスト運動等を提唱した自然崇拝主義者のグループにあったようです。
このスイスの自然主義の起源の歴史は、まだ北岡は詳しく調査研究しきれていませんが、少なくともその「大元」は、15 世紀の「コロンブスによるアメリカ新大陸の発見」にあったことは間違いありません。
ベストセラー書の『サピエンス全史』で、ユヴァル ハラリは、15 世紀の西洋帝国主義者たちが旧大陸から「命も顧みないで」地球の果てまで航海に出て、結果的に新大陸を発見する過程を「認識的革命」と呼んでいて、これを北岡は「認識的拡張主義」と呼んでいます。
北岡の見るところ、この認識的拡張主義が、ゴールドラッシュのカリフォルニアへの領地拡張を生み出し、その後ありとあらゆる現代テクノロジーの開発を経て、その反動として、上記のスイスの自然崇拝主義者が生まれ、その後、50 年代の「ビートニック文化」を経由して、60 年代後半に西海岸文化が生まれました。
西海岸文化と同義の「ヒッピー文化」は、1975 年のベトナム戦争の終結を契機に、下火になり始めますが、まさしくその 1975 年に NLP が創始されている歴史的事実には、極めて奥義的な、絶大な意味合いがあることは否定できません。
西海岸文化は、物質界を超えた「『意識の大陸』の制覇」の実験場でしたが、その後も、認識的拡張主義が継続して、現代の「『サイバースペース (仮想空間) の大陸』の制覇」の運動につながってきていることには、北岡は、文字通り、畏怖の念を感じざるをえません。
北岡は、2001 年から 2012 年まで、国内で「本場直伝の NLP」を教えていましたが、GAFA の創業者レベルの人材が生まれなかった事実から、「GAFA と NLP を生み出した『西海岸文化』的思考パターン」をまず身につけておかないと、どれだけ本物の NLP を学んでも化けない」という NLP を学ぶ者の側に一定の条件がある、という (NLP に内在しているものではない)「外在的な限界性」があるという結論に至っています。
NLP の「内在的限界性」としては、NLP はあくまでも単なる (たとえ「最高の」という形容が当て嵌まるとしても)「方法論」であるだけなので、その方法論で達成すべき到達点の目的は、学習者その人が予め決めておく必要がある、という点を指摘できるかと思います。
言い換えれば、NLP は、「アンカーリング」その他のテクニックで、NLP 学習者に、ある一定の行動パターンあるいは心理状態を、ほぼ即座に再現復元させることは可能になっていますが、その「ショーカット」の先の行動あるいは心理状態は、「参照機構」として自分自身が「予め」体験しておく必要がある、という決定的な限界性があります。
つまり、NLPによって、レモンの味を知っている人には、レモンの味を即座に再現させることができますが、レモンの味を知らない人には、けっしてレモンの味をもたらすことができない、という、そもそも論としての構造的メカニズムが存在しています。
ただ、過去 10 年間の包括的な意識の実験と試行錯誤の末に、北岡は、現在、「西海岸文化圏の人々と日本人の 60 年以上の思考パターンのギャップを閉じる」ための「メタ心理学」の方法論を独自開発してきていますが、そのメタ心理学の観点から言えば、NLP とメタ心理学の間に、一つだけ決定的な違いがあることが判明しています。
その違いは、「NLP が生み出す行動変容は、現象界の行動様式を他の行動様式で上書きすることで可能になる『水平的変化』に過ぎない一方で、メタ心理学が生み出す行動変容は、現象界で起こっていることと、現象界を超えた『神的意識』で起こっていることの間の止揚統合を連続的、再起的に可能にする『垂直的変容』である」という点です。
この NLP の内在的限界性を克服できる「メタ心理学」については、北岡は、今後さらに体系化していくつもりですが、「まったく新しい心理学的学問を生み出す」ことができるだけの革新性を有している、と考えています。
北岡は、戦後約 80年 にわたって、GHQ とマッカーサーの「大衆洗脳」の影響下にあり続けてきている日本人と、60 年代来の西海岸文化運動のおかげでイノベーション力を築き続けて、GAFA を作り出せてきている西海岸文化圏の人々との思考パターンのギャップを閉じることができる、NLP テクニックをアップデートした一連の新規ワークを独自開発してきています。
新ワークの名前は、「RPG ゲーム」、「ピーク エクスペリエンス体感ワーク」、「明鏡止水ワーク」(「RPG ゲーム」と「ピーク エクスペリエンス体感ワーク」の合体版)、「曼荼羅フラクタル リエンジニアリング (MFR)」、「鏡の国のアリス」、「Meta Meta Work」、「刺激と反応の間にスペースがある」、「サルバドール ダリの燃えるキリン」等です。
北岡は、これらの独自開発ワークを継続的に自己適用する方々は、日欧間の 60 年来の心理学的ギャップを閉じることができる、と考えています。
これらのテクニックは、北岡が提唱している「メタ心理学」の臨床面での核心部分を構成していて、本「特別限定オンライン『メタ心理学』ワーク」で、クライアントの方々に、紹介・施術されます。
そうですね、「国内の NLP 業界」の観点から言えば、北岡は「オワコン」です (大笑)。
ただ、2001 年の欧米からの帰国後の二十余年の包括的な意識の実験と試行錯誤のプロセスの後、北岡は、まったく新しい学問の「メタ心理学」を提唱し始めていて、「心理学一般」の観点から言ったら、自身は「シンコン」(「新規コンテンツ」) だと思っています (再大笑)。
いずれにしましても、北岡は、「21 世紀最新の心理学である『メタ心理学』」の発信基地としての「メタ心理学研究所 (MPI)」を創設することで、国際的社会全体に訴求し、貢献していきたいと思っているところです。
北岡は、自分自身を、本質的には「右脳的体感者」であると定義してきています (驚く人が多いはずです)。
北岡の「左脳的解説」は、あくまでも、「左右両脳学習」を促進させ、自身の右脳的体感の深さをさらに深めるためにだけある、と考えています。
たとえばの例ですが、北岡の書くメルマガの内容は、表層の表現にこだわる「初心者」あるいは「左脳オンリーの理解者」(「耳年増」のことです) にとってしてみたら、極めて難解らしいですが、深層の意味を探れる「試行錯誤者」あるいは「方向を示す指ではなく、指が差している月を見ようとする者」からは、「これほどおもしろい読み物はない」という感想を頻繁にいただいてきています。
要は、このことは、北岡の言う「マインド → ノーマインド → メタマインド」の図式で説明できます (いみじくも、この説明自体、「右脳的体感者」による「左脳的解説」の例になっていますが、「左脳オンリーの理解者」(「耳年増」) にとっては、「現実を反映していなくて、かつ現実を変えることにはつながらない、単なる頭の体操」で終わる運命にあります (笑) )。
すなわち、北岡が英国に住んでいた時、煙草を吸っていて、何度か禁煙しようとして、失敗していました。ある時、BBC テレビの深夜番組で、「喫煙派 vs 禁煙派」の視聴者参加型グループ討論の番組を見る機会がありました。
この討論会の内容は、文字通り「低級」なていたらくで、北岡は、反吐が出るほどの極端な嫌悪感に襲われました。あまりの嫌悪感に、極度にくだらないこれら両方の立場を「金輪際超越」してみたいと心底から思いました。そのとき、ふと、「現象学的に、仮にもし煙草を吸い続けた場合、決定的に、誰も否定できない形で、自分は喫煙派に分類されざるをえないが、仮に煙草を吸うという行為を現象学的にしない場合、確かに禁煙派と分類される可能性もあるが、同時に、喫煙派と禁煙派の両方を超えた NLP でいう『メタ』の立場と分類される可能性もある、少なくとも、煙草を吸うかぎりその『超越した立場』に立つことは論理的に絶対不可能だ」という思いに至りました。 この思いが、北岡を完全禁煙させたという次第でした。
(もう一例挙げると、たとえば、ある人がある場所でフランス語を (現象学的に) しゃべっていない場合、これは、二つの可能性を示唆しています。一番目は、「フランス語がいっさいしゃべることが『できない』からしゃべっていない」状況で、二番目は、「別の場所ではしゃべることが『できる』が、たまたまその場所でしゃべってない」状況です。この場合、前者には自由がない一方で、後者には自由があることは明らかで、かつ、この二つには雲泥の差があります。)
同様に、北岡が、「ノーマインド」と「マインド」を超えた「メタマインド」(これは、「右脳学習」と「左脳学習」を超えた「左右両脳学習」、と言い換えることもできます) について議論している時、「ノーマインド」と「マインド」の概念しかもっていない聞き手は、その議論は、必然的にマインドについてのマインドの議論として理解することしかできないようになっています。メタマインドの立場から、ノーマインドとマインドの両方を超えるための議論を続ければ続けるほど、メタマインドが理解できない聞き手は、北岡の頭の中は、以下の URL からアクセスできるバグワン タロットの「マインド」のカード図のようであると思うことしかできないようです。
https://www.meta-psychology.info/work/img/mind.jpg
このタロット カードは、「耳年増」の方の頭の中しか表していないので、数年前に、あるデザイナーの方に「メタマインド」を表しているイラストもしくは動画を作ってくれませんか、と依頼したことがありますが、この方は、以下の動画を制作してくれました。
北岡は、個人的には、半端ではない時間数とクライアント数の臨床経験をもってきていると思っています。
この臨床経験は、(ワークショップ参加の経験は除外しますが) 80 年代の米国オレゴンのバグワンの「RIMU 国際瞑想大学」での「脱催眠療法」の 7 ヶ月間 (1,700 時間) のコース受講経験、1988 年の英国ロンドン市の「催眠と上級心理療法の学校」での約 200 時間の実践的な催眠技法の習得、1988 年から 2001 年までの NLP 四天王開講の資格認定コース (プラクティショナー、マスター プラクティショナー、トレーナーズ トレーニング コース) の参加経験 (約 800 時間相当)、2001 年の帰国後開講した NLP 認定資格コース (約 4,300 時間) の教授経験、約 1,500 時間のワークショップ開講経験、約 900 時間の個人セッション体験、および、2020 年初頭のコロナ禍からの 3 年間 400 回以上 (計 1,200 時間) の Zoom 個人セッション開講体験、等に基づいたものになっています。
単純計算で、北岡の臨床経験の総時間数は 1 万時間超となっています。1 日 8 時間計算で、1,250 日相当になります。
以上の臨床経験で特記すべきは、「帰国後開講した NLP 認定資格コース (約 4,300 時間) の教授経験」の中での、コース参加者相手に行った延 2,000 回以上の「デモ演習」は、文字通り、北岡の「臨床の至宝」となっている点と、過去 3 年間の「400 回以上 (計 1,200 時間) の Zoom 個人セッション開講体験」は、オンライン ワーク開講のためのまたとないノウハウ確立の場となってきている点です。
ということで、前項の「FAQ16」で述べさせていただいた「『左右両脳学習』を促進させ、自身の右脳的体感の深さをさらに深めるためにだけある『左脳的解説』」のベースになっている北岡の右脳的体感は、1 万時間以上の「実際の生きた人間」を相手にした臨床的経験に基づいていることになります。
実は、「NLP には、理論も仮説もない。あるのは、何がうまくいくかのモデルだけだ」という金言がありますが、北岡自身、1 万時間以上の「実際の臨床経験」の中で、常に、帰納法的に、「どういう介入法がうまくいくのか」にだけ焦点を合わせて、自身のワークを施術してきています。
そして、その上で、99.99% の技能を 99.999% まで引き上げるにはどうすればいいか、の観点からのみ、左脳的解説を試み、それが右脳的経験に反映されることで、極微小レベルの臨床的技能の向上につながり続けてきています。
なので、 前項の「FAQ16: 北岡泰典は『左脳的解説者』か?」で述べさせていただいた回答を言い換えると、「北岡と同等の臨床体験をもった人間が、その超左脳的に思える解説の裏にある右脳的体験を『推測』することができ、臨床的経験の少ない人間には、『ちんぷんかんぷん』に聞こえる」ということになるのかもしれません。
この意味では、臨床経験を増やしている最中の試行錯誤者の方々にとっては、北岡の左脳的解説は貴重な「旅先案内板」になるはずです。
まず、前項の「FAQ17」でも指摘しましたが、「NLP には、理論も仮説もない。あるのは、何がうまくいくかのモデルだけ」です。
北岡は、よく「NLP < 現実」vs「NLP > 現実」の対比を使います。前者は、「NLP とは、現実に関する『気休め』をもたらす『左脳的解説』にすぎず、NLP を学んでも、現実は変わらない」という立場である一方で、後者は、「現実とは、4 歳児までに自分が作ったプログラミングの総体 (あるいは世界についての見方) にすぎないので、NLP のような方法論でそのプログラミングを変えることで、現実はいかようにも変えることができる」という立場です。
ちなみに、この「NLP < 現実」vs「NLP > 現実」の対比が、「FAQ14: 本当に 60 年間のギャップは閉じられる?」で述べた「戦後約 80年 にわたって、GHQ とマッカーサーの『大衆洗脳』の影響下にあり続けてきている日本人と、60 年代来の西海岸文化運動のおかげでイノベーション力を築き続けて、GAFA を作り出せてきている西海岸文化圏の人々との思考パターンのギャップ」の原因を象徴しています。
今後、日本人が GAFA の創設者レベルのイノベータを生み出していく可能性と、「NLP < 現実」の立場の日本人のうち、どれだけの数の人々が「NLP > 現実」の立場に転向していくか、が正比例していると思います。
この質問については、まず、(ミルトン H. エリクソンと並んで「NLP の父」と称されている) グレゴリー ベイツンが、死後出版の著である『天使のおそれ』で、2,500 年前にアリストテレスによって提言され、デカルトが複雑化した諸問題は、彼自身とバートランド ラッセルの認識論によってすでに解決された、とまで明言していていることを明記しておく必要があります。
ベイツンは、これらの問題が解決された後、さらに新たな問題が生まれるだろう、と非常に謙虚に語っていますが、このことは、古今東西の哲学者が 25 世紀に渡って喧々諤々と論議してきたにもかかわらず解けなかった、たとえば、心身二元論の問題がすでにきっぱりと解決されたという空恐ろしい事実を示唆しています。
北岡自身は、このことは、驚愕的以上の歴史的事件だとは思っていますが、実は、北岡の見るところ、この哲学的問題解決法を臨床の現場に落とし込んだ本が存在しています。
それは、ベイツンの理論的指導とドン ジャクソンの臨床的指導のもと活動していた心理療法家の集まりの「MRI (メンタル リサーチ インスティチュート、精神研究所)」のポール ウォツラウィック、ジャネット バヴェラス、ドン ジャクソンが 1967 年に刊行した『人間コミュニケーションの語用論』です (残念ながら、翻訳書の質は悪いようです)。
北岡は、『語用論』は、チョムスキーが言語学で成し遂げたことを人間コミュニケーションの臨床の場に落とし込んだ名著だと思っています。つまり、チョムスキーの「母国人は、母国語の表現が形成妥当であるか誤形成であるかの判断する基準を意識化することはできないが、『統語』(『五文型』のことです) 的に正しく分析できれば形成妥当で、分析不能であれば誤形成である」ということを提唱した「変形生成文法」を、セラピーの臨床の場に落とし込むことに成功したのが『語用論』です。
北岡の私見ですが、MRI の『語用論』が NLP 共同創始者のジョン グリンダーとリチャード バンドラーに多大な影響を与え、1975 年に、心身二元論の哲学的解決法を臨床に落とし込む最終決定版セラピーとして NLP が生まれた、と見ています (NLP は、当初、心理療法の代替的学派の一派として生まれています)。
また、以下の URL からアクセスできる図のように、NLP が生まれる過程には、さまざまな哲学的体系が影響しているので、たとえば、「グリンダーとバンドラーは、それ以前の多くの学問をかってに組み合わせて NLP を創始したので、私もそうしていい」と思い、「我流の非実践的な矮小な体系」を作り出す輩の次元をはるかに、はるかに超えている 2,500 年に一度規模の「核融合」が 1975 年に UCSC (カリフォルニア大学サンタクルーズ) で起こった、というのが北岡の見立てです。
北岡が独自開発してきている最新のモデルは、「FAQ8」等でも述べられているように、
「RPG ゲーム」、「ピーク エクスペリエンス体感ワーク」、「明鏡止水ワーク」(「RPG ゲーム」と「ピーク エクスペリエンス体感ワーク」の合体版)、「曼荼羅フラクタル リエンジニアリング (MFR)」、「鏡の国のアリス」、「Meta Meta Work」、「刺激と反応の間にスペースがある」、「サルバドール ダリの燃えるキリン」
等が挙げられます。
これらのテクニックは、北岡が提唱している「メタ心理学」の臨床面での核心部分を構成していて、本「特別限定オンライン『メタ心理学』ワーク」で、クライアントの方々に、紹介・施術されます。
北岡は、昨年 11 月から、以下のページで Instargram の発信を始めました。
https://www.instagram.com/kitaokataiten/
北岡は、このメディアを通じて、毎日、さまざまなアングルからの質問に対して、90 秒の回答をさせていただいています。
植草甚一は、1979 年に 71 歳で亡くなったジャズ評論家/映画評論家で、高齢になっても、「若者のオピニオン リーダー」として活動された方です。
北岡は、2007 年に世田谷文学館で開催された植草氏の「マイ フェイヴァリット シングス」回顧展に行き、感銘を受けました。
植草氏は極めて小柄だったようですが、北岡も、「小さな巨人」として、メタ心理学者として、21 世紀の日本の若者の「オピニオン リーダー」にならんと思っているところです。
北岡は、数年前に、ユヴァル ノア ハラリの書『サピエンス全史』を英語版で読み、かなりの感銘を受け、大きな影響を受けてきています。
ハラリは、歴史的に、アジア、アフリカを中心とした、トルコ、インド、中国等の帝国主義は、宗教とお金を通じて、すなわち、経典にある神の命令を絶対視し、貨幣統一を行うことで、領土拡大を図った「既存の世界観の拡張」主義でしかなかった一方で、15 世紀に「大航海時代」に突入したスペイン、ポルトガル、オランダや、その後の英国、フランス等の帝国主義は、宗教とお金に加えて、「科学技術」をも活用した点に、明確な違いがある、という、極めて興味深い事実を指摘しています。
さらに、この帝国主義者たちは、科学は完璧ではなく、仮説は、実際の実験と検証の過程の中で、常に覆されるためにあることを知っていた (!)、ともハラリは示唆しています。
すなわち、15 世紀の東洋帝国主義者たちは、自国の「ピザ パイ」の大きさを広げることにのみやっきだったが、西洋帝国主義者たちは、まったく別のピザ パイを見つけて、その利権を押さえて、まったく異次元の価値と世界を創出しようとしていた、ということになります。
その象徴的な出来事は、1492 年のコロンブスによるアメリカ新大陸の発見でした。
コロンブスは、いわば、地球の果てが滝になっていて、そこで流されて死んでしまうかもしれない危険性も顧みないで、スペインから西に向かって船出をしたわけですが、「既存の自己アイデンティティ」がなくなる危険性をもろともせずに、その「自己アイデンティティの拡張」を達成しました。
この「既存の自己アイデンティティの死の可能性をも受け入れた上での自己を拡張しようとすること」を、ハラリは「認識的革命」と呼んでいますが、北岡は、「認識的拡張主義」と呼んできています (認識的拡張主義は、上述の「[西洋] 帝国主義者たちは、科学は完璧ではなく、仮説は、実際の実験と検証の過程の中で、常に覆されるためにあることを知っていた」という事実と相互関係があります)。
認識的拡張主義者だった西洋帝国主義者とは裏腹のマインドセット (北岡は、「既存枠の水平的拡張主義」と呼んでいます) をもった東洋帝国主義者の明王朝は、巨大な帆船をもっていましたが、新大陸を発見できたのは、その十分の一以下の大きさの船で航海したコロンブスの方でした (以下に、二つの船の比較図があります)。
https://www.meta-psychology.info/work/img/ships.jpg
1492 年以降の近代ヨーロッパの歴史は、首尾一貫して、認識的拡張主義に基づいた歴史と言えると思います。すなわち、コロンブスのアメリカ大陸発見、アメリカ独立宣言、東海岸から西海岸のカリフォルニアに向かった「ゴールドラッシュ」、奴隷解放宣言、電球・自動車・飛行機・電話・ラジオ・テレビの発明、不幸な二つの世界大戦後の「核軍縮」、アポロ 11 号の月面着陸等を経ながら、1960 年代後半の「カウンターカルチャー」の「意識の革命」までの歴史的な流れは、すべて、15 世紀からの認識的拡張主義の絶え間ない潮流だった、ということになると思います。
さらに言うと、60 年代のカウンターカルチャーを契機として起こった、現代のインターネット革命、IT/AI 革命、分子生物学 (DNA/遺伝工学) 革命、等の歴史の流れにも、この認識的拡張主義が綿々と継続されてきている、という見解を、北岡はもっていますが、これは、穿りすぎた見方でしょうか。
(ちなみに、北岡は、15 世紀からの認識的拡張主義の発展の歴史と、易経で言う「庚子 (かのえね)」の年から始まる 60 年間のサイクルの繰り返し (「一陽来復」) は、相互関連していて、認識的拡張主義は「螺旋的」な発展を遂げてきているのではないか、という仮説をもっています (「FAQ51: 『庚子 (かのえね)の年』について」を参照してください)。)
このような世界観から見れば、北岡は、若い頃、ヒッピー文化に傾倒し、自身を左翼と認識してきていましたが、近代西洋帝国主義者の認識的拡張主義について知った後は、この立場には、右も左もない、という考え方に至りました。
北岡が提唱し始めた「メタ心理学」は、ハラリ式の「認識的拡張主義」(同氏の言う「認識的革命」) が色濃く反映されています。
「ボディ/マインド/スピリット」の三位一体説は、精神世界でよく使われている用語で、通常は、「体/心/魂」と訳されています。
北岡は、数年前に、「現実を仮想現実化するワーク」 (通称「RPG ゲーム ワーク」) を独自開発しました。これは、NLP の現実への落とし込み方がわからない、という個人セッションのクライアントの方がいたので、1988 年の NLP 学習開始時からずっと自分自身が何をしてきたかについて、改めて客観的な「自己モデリング」をした結果、「公式化」することに成功したテクニックです (実際に北岡の頭の中で起こっていたことかどうかは判断できませんが、北岡が頭の中で行っていたことと同じ効果を発揮するモデルであることは間違いありません)。
「RPG ゲーム」ワークは、おそらく、開発以前の日本人は誰も知らなかったテクニックであると同時に、NLP を自己適用して「化けて」きている西海岸文化圏の人々も誰も意識化できていないテクニックです。
(ある時、NLP 共同創始者のジョン グリンダー氏に「このようなテクニックは、西洋人の NLP 実践者は誰でもできているのに、日本人のために私が公式化した、ということについては、西洋人は『猫も杓子も、子供もできているいることなのに、なぜわざわざ明示化しなくてはいけないのか』と言って嘲笑されるでしょうね」と伝えたら、「確かに、他の西洋人は笑うでしょうが、私は『ブラボー! よくやってのけましたね』と言ってあげたいです」と言われました。)
「RPG ゲーム」は、北岡が、欧米で、他の NLP 学習者に混じって無意識的に、「経験則的」に身につけたテクニックだったので、2001 年から 2012 年までいた国内の NLP 資格認定業界で教えた日本人の方々にそのノウハウを伝えきれていなかったのですが、これを理由として、「化ける」人々が出てこなかった、ということが判明もしました。
つまり、「RPG ゲーム」は、NLP だけでなく、コーチング、カウンセリング、セラピー等の方法論を、単なる左脳的な知識ではなく、「現実」 (あるいは、「現場」) に落とし込む、自身の実際の人生を変え始めるために必須の OS 的なテクニックであることが判明したわけです。
ちなみに、上述の該当のクライアントの方は、会社経営者の方でしたが、この新テクニックの施術後、会社の売上が 8,000 万円から 4 億円に増えた、という事後報告を受けました。
「RPG ゲーム」の手順としては、「仮想現実」の場の中で自分が問題を抱えていることを想像して、そこから自分だけが仮想現実の外の「チョイスポイント」に出ることを想像します。チョイスポイントにいる自分は、仮想現実の外にいるので、自由に動けますが、どう行動していいかわからないので、もう一つ「メタ (観照者)」のポイントを想像して、そこからチョイスポイントにいる自分に新しい行動選択肢を取れるように訓練します。その後、新しい行動選択肢を取れるようになった自分が仮想現実に戻った瞬間、「自分が変わった」ので、必然的に「仮想現実の中身も変わる」ようになっています。
この「仮想現実/チョイスポイント/メタ」の「三位一体説」については、北岡は開発当時は気づいていませんでしたが、後になって、「RPG ゲーム」のメカニズムは、「体から心を抜き、その心を魂が浄化させて、再度体に戻す」という「ボディ/マインド/スピリット」の三者の整合性を取ろうとしている「とんでもないテクニックである」ことがわかりました。
さらに、その後、北岡は、「明鏡止水ワーク」(「RPG ゲーム」と「ピーク エクスペリエンス体感ワーク」の合体版)、「曼荼羅フラクタル リエンジニアリング (MFR)」、「鏡の国のアリス」、「Meta Meta Work」、「刺激と反応の間にスペースがある」等のテクニックを独自開発してきていますが、振り返って見てみると、これらのほぼすべてのテクニックは、「ボディ/マインド/スピリットの整合性」を達成しようとするワークであることも判明しました。
おそらくですが、メタ心理学が NLP と一線を画すメソッドであることが、今後証明されていくとしたら、「NLP → メタ心理学」に進んだ「量子的飛躍点」は、北岡が「RPG ゲーム」を独自開発した時点だった、ということになると思います。もしかしたらですが、北岡による「RPG ゲーム」の発見は、認識論の歴史において、1975 年の NLP の創始に次ぐ「量子的飛躍」を達成したイベントとして見なされるようになるのかもしれません。
結論としては、欧米で NLP を学習/実践して「大化け」する人々を多出させている反面、日本ではそうならなかった事実の裏には、欧米では、NLP を自己適用して「個人的天才」になるための西海岸文化的マインドセットが充分熟成していた一方で、日本では、西海岸文化の「に」の字も存在してきていなかったが、この 60 年以上の心理的ギャップは、「RPG ゲーム」ワークを意識的に実践し続けることによって、閉じられるようになっています。
北岡は、箭内宏紀氏と「メタ心理学講話シリーズ」の動画を公開してきていますが、「その六: 北岡『ボディ/マインド/スピリット』の本質を分析する!」で、箭内氏に「『ボディ/マインド/スピリット』は、キリスト教以外でも使われているモデルですか?」という質問を受けました。
同じ講話で、箭内氏から ChatGPT について初めて情報を伝えられていたこともあり、ビデオ収録後、ChatGPT を使って、以下の質問を投げかけたら、以下の回答を得ました。
「Q: Is the Body/Mind/Spirit model exclusively a Christian model, or can it be found also in the other religious disciplines?
A: The concept of a tripartite division of the self into body, mind, and spirit is not exclusive to Christianity and can be found in various forms in many religious traditions and philosophical systems throughout history.
In ancient Greek philosophy, for example, the idea of a tripartite self was embodied in the concept of psyche, which was believed to comprise three parts: the mind (nous), the spirit (thumos), and the desire (epithumia).
In Hinduism and yoga philosophy, the tripartite self is often represented as the three gunas, which are qualities of nature that influence human behavior: sattva (balance and harmony), rajas (activity and passion), and tamas (inertia and ignorance).
In Buddhism, the concept of the "three poisons" -- ignorance, attachment, and aversion -- is often used as a framework for understanding the sources of suffering and the path to liberation.
So, while the specific terminology and interpretations of the body/mind/spirit model may differ across religious traditions, the underlying idea of a tripartite division of the self is a widely recognized concept in many cultures and belief systems.」
以下が、DeepL の翻訳 (未編集) です。
「Q: 身体・心・精神のモデルはキリスト教だけのものですか、それとも他の宗教分野にもあるのでしょうか?
A: 自己を身体、心、精神の三者に分けるという考え方は、キリスト教に限ったことではなく、歴史上多くの宗教的伝統や哲学的体系にさまざまな形で見出すことができます。
例えば、古代ギリシャ哲学では、三部構成の自己の考えは、精神という概念に具現化されており、精神は心(ヌース)、精神(トゥモス)、欲望(エピトゥミア)の三つの部分から構成されていると信じられていた。
ヒンズー教やヨーガ哲学では、三位一体の自己は、人間の行動に影響を与える自然の性質である3つのグナ(サットヴァ(バランスと調和)、ラジャ(活動と情熱)、タマス(惰性と無知))として表現されることが多い。
仏教では、「三毒」(無知、執着、嫌悪)という概念が、苦しみの原因や解脱への道を理解するための枠組みとしてよく使われます。」
というわけで、上記のケースは、興味深いニ種類の「AI との『壁打ち』」になっているとは思いますが、昨今、革命を起こしていると言われている ChatGPT についての北岡の私見については、次項の「FAQ26」で論じられている「シンギュラリティ」とも密接に関係のあるトピックなので、次項で述べさせていただきたいと思いました。
ChatGPT については、2011 年 11 月の公開後、2 ヶ月で 1 億人のユーザー数を達成した、ということで、現在、「GAI (生成系 AI)」として、多くの人々の注目を集め、革命が起こりつつある、とまでと言われているようです。
社会学者の中には、2040 年代に起こると言われていた「シンギュラリティ」(北岡は、「AI が人間意識を超える、あるいは、作り出す時点」と理解しています) が、GAI 等の出現によって 今から 2 年後に起こるように早まった、と主張している方もいるようですが、そもそも論として、北岡は、「シンギュラリティは起こりえない」という立場で来ています。
この北岡の立場は、1976 年から 50 年近く一貫して保持してきているものです。
すなわち、1976 年に、世界的に著名だった言語学者の故川本茂雄教授は、早稲田大学の講義で、「今後どれだけコンピュータが発達したとしても、完全な翻訳機械はできない」と断言し、その主張を擁護するために 2 つの文章例を挙げました。
一つ目は、「象は鼻が長い」の主語は何か特定できない、という例であり、もう一つは「彼女は私が好きだ」という日本語を英語で「She loves me.」とも「I love her.」とも訳せるという例でした。
(この 2 番目の文章は、大部分の状況では、確かに「She loves me.」の意味ですが、ごくまれな特殊な状況で、たとえば、「この車は、あの人ではなく、私が好きだ」といった日本語の文章が可能であり、同様に「彼女 (のこと) は、 (あの人ではなく) 私が好きだ」、つまり「I love her.」という意味にもなりえるというのが川本教授の主張の根拠でした。)
つまり、どれだけ発達して、単なる AI が生成系 AI (GAI) に進化をしたとしても (確かに、この進化は一種の量子的飛躍であることは認めますが、比喩的に表現すると、インターネット環境が ISDN から光回線の環境に変わった「程度」の進化だと、北岡は考えています)、人間が作ったロボットである AI は、仮に人間の脳機能が生成する「脳意識」 (「Consciousness」のことです) に「似たもの」を生成することに成功したとしても、その脳意識および脳意識が作り出す AI を含む全宇宙を生成し、観察している「絶対意識」 (「Awareness」のことです) を作り出す、ということなどは、どういう論理をどのように歪曲しようが、「起こることは絶対的に不可能」です。
北岡は、生成系 AI の ChatGPT 等の出現によって、機械が Awareness を作り出すことができるようになった、と主張する人々は「最大、最悪の論理階梯の誤謬」を犯している、と主張します。
その根拠としては、上記の故川本教授の指摘以外にも、もう一つあります。
北岡は、90 年代に、英国で翻訳者として活動していました。その翻訳力は極めて正確でしたが、当時、翻訳会社から Trados という翻訳支援ソフトの使用を強制されました。
このソフトは、ある英語の原文を、いわば「写真」として認識して、統計的に過去の翻訳のケース スタディと比較して、100% のマッチがあれば、既存の和訳文を使うことになるので、翻訳料はゼロになり、50% のマッチであれば 50% の翻訳料となり、0% のマッチであれば 100% の翻訳料となる、といった、統語、文法その他を完全無視した、単なる「翻訳料計算ソフト」でした。
北岡は、このソフトのメカニズムは、ありとあらゆるビッグデータを統計的に比較して、人間意識 (Consciousness) が作り出す「ような」理路整然とした文章を作り出す GAI のメカニズムそのものであると理解していてますが、Trados も、その進化バージョンにしかすぎない GAI も、該当の文章を統語的、文法的に文章を分析して、形成妥当性と誤形成を判断している、物質界を超えた「絶対観照者あるいは絶対意識」を作り出すことなど、到底無理な話である、と考えています。
思うに、ChatGPT の「バズ」 (英語では「Hype」) は、起こるはずのない「シンギュラリティ」に対する「哲学的な期待感」によるというよりも、むしろ、大学レベルの論文や社内用の報告書等がロボットが短時間で書いてくれるようになった、といった (インターネット普及の裏に実質的なポルノ解禁があったように) 単に人間の煩悩が満たされることになる、というメカニズムが働いている「だけ」のように思えてなりません。
前項の「FAQ25」で掲載した ChatGPT との質疑応答も、その DeepL の翻訳も、ほぼ完璧だとは思いましたが、これらの AI は、Awareness を必要とする統語、文法解析力を完全無視している、という点で、(努力と試行錯誤が必要な) 進化した人間意識 (Awareness) を作り出すというよりは、(思考停止状態の) 「怠惰」で、退化する人間意識しか作り出さないのではないか、と北岡は危惧しています (この危惧は、『ホモ・デウス』でユヴァル ノア ハラリが指摘している、「人間が動物を家畜化することに成功したように、人間は、そのうち、インターネットの Google、Facebook 等のアルゴリズム (AI) によって家畜化されてしまう可能性がある」という危惧と近いと思っています)。
結論としては、今後どれだけロボットが発達しようが、「『人間意識 (Consciousness)もどき』のものが生成されることがあったとしても、元々その人間意識を作り、観察している『絶対意識 (Awareness)』を生み出すことは、金輪際、絶対ない」という、極めて単純で断言的な「シャンカラ主義的」 (あるいは、「プルースト的」) ステートメントが導き出されます。
中国の「陰陽 (二元論)」と印哲の「グナ (三元論)」についての議論は、「メタ心理学講話シリーズ その六: 北岡『ボディ/マインド/スピリット』の本質を分析する!」で箭内宏紀さんとなされたものです。
すなわち、ゲシュタルト療法の「エンプティ チェア」(「空の椅子」) ワークでは、二つの椅子が想像され、葛藤の二つのパーツの一つづつを各椅子の上に置き、その各椅子に座った後、場所を相互移動して、想像上の相互対話をします。
この場合、その二つの椅子間の対話を「見て」いる「観照者 (メタ)」は、暗黙的で、明示化されていませんが、NLP では、たとえば、三つ目の椅子を用意して、そこにメタの視点を置く、という「療法的論理階梯の誤謬」が行われています。
この NLP モデルを根拠にして、北岡は、中国の易経の「陰陽二元論」の図は、実は、周りの円が「メタ」であるという「三元論」の図ではないか、と思っています。
同様に、印哲のヴェーダンタ哲学に、「タマス (静)/ラージャス (動)/サットヴァ (和」) の「三元論」の「グナ (性質) 図」がありますが、北岡は、この図も、周りの円が「メタ」であるという「四元論」の図ではないか、と思っています。
以下に、陰陽図とグナ図があります。
https://www.meta-psychology.info/work/img/dualism_trialism.png
北岡が 1988 年と 1989 年に、NLP 共同創始者のジョングリンダー氏の資格認定コースを受講した UCSC (カリフォルニア大学サンタクルーズ) のキャンパス内にあった「自然と和合あるいは対立して生きる経路」というタイトルの壁彫刻作品 (以下の URL のページに写真があります) は、「四元論のグナ図」を芸術作品として具現化したものではないか、と北岡は、見ています。
この「心身二元論」については、「FAQ19: 1975 年に起こった認識論的『核融合』について」の項でも触れさせていただきましたが、2,500 年前にアリストテレスによって提言され、デカルトが複雑化した「心身二元論」の問題は、バートランド ラッセルとグレゴリー ベイツンの認識論によって完全解決され、この哲学的解決法が、「MRI (メンタル リサーチ インスティチュート、精神研究所)」の心理療法家によって臨床面に応用され、最終的に、1975 年に、打ち止め的方法論として、NLP が生まれた、という経緯があります。
この「『Awareness (意識) と Consciousness (意識)』について」は、「FAQ26: 『シンギュラリティ』について」でも言及させていただきましたが、北岡は、人間の脳機能が「副産物」として作り上げる意識が Consciousness で、物質界を作り上げている「絶対意識」(あるいは「メタ意識」あるいは「絶対的観照者」) が Awareness である、と定義しています。
ちなみに、Awareness は、「MRI (精神研究所)」のポール ウォツラウィックが提唱した「アイデンティティ メンバー」のモデルと関連性があります。
このモデルは、東洋精神世界のヴェーダンタ哲学の最も重要な概念であるブラーマン (宇宙原理) とアートマン (真我) の同一性 (「梵我一如説」) を理論的、概念的に裏付けることができる西洋的モデルになっています。
アイデンティティ メンバーは、ウォツラウィックその他によれば、同じグループの他の任意の数と組み合わせても、その数のアイデンティティを維持するような数です。たとえば、組み合わせ規則として加算が適用されるグループでは、アイデンティティ メンバーはゼロです (たとえば、5 + 0 = 5)。組み合わせ規則が乗算であるグループでは、アイデンティティ メンバーは 1 です (たとえば、5 x 1 = 5) 。ウォツラウィックその他は、例として、位置の全変化からなるグループ (すなわち運動) のアイデンティティ メンバーは不動であり、すべての音からなるグループのアイデンティティ メンバーは無音であると指摘しています (!)。
頭の体操にはなりますが、「森羅万象 + 0 = 森羅万象」、「森羅万象 x 1 = 森羅万象」の「0」あるいは「1」が「Awareness」であると、北岡は考えています。
(ちなみに、真我は「空、無」であると見る仏教徒は「森羅万象 + 0 = 森羅万象」の立場を取り、真我は「本体」として存在していると見るヴェーダンタの人々は「森羅万象 x 1 = 森羅万象」の立場を取っている、と言えます。仏教徒とヴェーダンタの人々は、この違いから「宗教戦争」を起こしているようですが、北岡にしてみたら、これらは視点の違いに過ぎない、と言えます。)
このうち、ヴェーダンタ的見方の「森羅万象 x 1 = 森羅万象」の「1」が、「ブラーマン」、「絶対意識」、「絶対的観照者」である、と北岡は考えています (梵我一如説的には、「真我」も絶対的観照者そのものである、ということになります)。
以上が、「Awareness (意識)」と「Consciousness (意識)」の違いですが、北岡は、たとえもし「シンギュラリティ」が仮に起こったとしても、人間の「Consciousness」もどきのようなものが生成されることがあったとしても、すべてを観察している絶対観察者の Awreness が生成されることは、論理的に不可能である、という立場を取っています。
たとえば、GAI (生成系 AI) である ChatGPT は、単に、天文学的な量のビッグデータを集め、それに基づいて統計学的な機械的処理を超高速で行った上で、「あたかも人間が考え出した」かのような文章の出力を出しているだけなので、GAI が、人間が行っているような統語の処理をしている、と考えることには論理的誤謬があると、北岡は思っています。
さらに言うと、上の段落で「人間が行っているような統語の処理」という表現を使いましたが、正確に言えば、(脳機能である人間意識は統語処理はできないので)「人間意識 (すなわち、Consciousness) が行っているような統語の処理」は不適切な言い方で、厳密には、「(統語処理をしている、現象界を超えた) 絶対意識 (すなわち、Awareness) が行っているような統語の処理」という言い方をすべきかと思います。
言い換えれば、Awareness は、「統語」の処理ができる「メタ意識」であり、Consciousness は、そのメタ意識が生み出す単なる「ビッグデータ」を扱う「コンテンツ意識」である、ということになります。
いずれにしても、靴職人が作った靴 (現象界の意識、Consciousness) が靴職人 (絶対意識、Awareness) を作り出せる、と考えているのが、「シンギュラリティ信奉者」の人々かと思いますが、ここには、根深い「論理階梯の誤謬」が隠されていると、北岡は考えています。
北岡は、NLP 共同創始者のジョン グリンダー著の『Turtles All the Way Down: Prerequisites to Personal Genius』(『ニューコード NLP の原点: 個人的な天才になるための必要条件 』) を邦訳しましたが、その「はじめに」に、以下の文章があります。
ウィリアム・ジェームズは、一般的に、アメリカ心理学の父と見なされています。彼は、あるときハーバードに招待され、自分が選んだ話題について一連の講演を行いました。これらの講演は誰でも参加できる特別講演でした。いくらか考えた後、彼は、大胆な選択をし、最初の講演には「神の存在は証明できるか?」というタイトルを付けました。この話題は、20世紀初頭のニューイングランド地域では、眉をひそめさせることは確実でした。
そういうわけで、彼は、講演場に聴衆が入ってくるのをいくらか心の動揺を覚えながら見守っていましたが、最後に、小柄な老女が中央の通路を駆けてきて、中央最前列に座りました。
ジェームズ教授は、いつもとおりの機知と魅力を見せながら話題について語りました。教授は、講演を進めている間、老女は非常に魅力的で、楽しんでいるように見えることに気づきました。他の誰も笑っていないときに彼女が笑っている事実にも気づきました。とはいっても、すべてうまくいっているように思えました。
非常に好意的に受け入れられた講演の終わりに、教授に会おうとする列が出来上がったのは避けられないことでした。そして、もちろん、列の最後にあの小柄な老女がいました。彼女の番が来ると、彼女は、ジェームズ教授を明るい表情で見上げ、「ジェームズ博士、私は先生の講演を非常に楽しみました。しかし、一つ質問があるのですが」と言いました。「ええ、どうぞ、質問をしてください」とウィリアム・ジェームズは丁重に答えました。老女は、目を輝かせて、「ええっとですね、ジェームズ博士、もし神がいないとしたら、何が地球を下方に落ちるのを防いでいるのですか?」と尋ねました。
ジェームズは、即座に回答のオプションを検討し、求心力、重力体系、といった説明的概念を考慮しましたが、賢明にも、この女性から自分が何かを学べるように回答することにしました。注目を女性に戻し、「ご質問に答えたいとは思うのですが、あなた自身は、何が地球を下方に落ちるのを防いでいると信じているか教えていただけますか?」と言いました。
「ジェームズ博士、答えは簡単です。地球は、大亀の背中に乗っているのです。」
ジェームズは、彼女の説明の答えについてしばらく考えた後、勝ち誇ったように聞こえる声で、明白な質問をしました。「それでは、どうか教えてください。何が大亀を下方に落ちていくのを防いでいるのですか?」
老女は、「ジェームズ博士、そうではありません、そうではないのです。きりがないのです。下に向かってどんどん無数の亀が重なっているのです!」
実は、北岡は、過去 25 年間師事してきているグリンダー氏に、この「下にどんどん重なっていく亀」の比喩について、意味合いを直接聞いたことがないことに、今、改めて気づきましたが (驚)、これは、北岡にとって、「亀」は「メタ」 (通常「観照者」と訳されている英語の「Witness」のことです) を表していて、「メタを観察するメタを観察するメタを観察するメタ...」というふうに上位のメタが永遠に続いていくことを意味している、ということを「言わずもがな」の当然のことと思ってきているからです。
「亀」は「メタ」を表しているはずだ、という北岡の確信の根拠には、同書で語られている「ゲーデルの不完全性定理」の解説内容も含まれています。
ゲーデルは、「不完全性定理」で、完全なる系はない、ということを証明した数学者でした。
同書の 161 ページで、グリンダー氏は、アリゾナの砂漠の町ウィンスローで立っていて、カリフォルニアに戻るためにヒッチハイクしているケン・キーシー (ジャック・ケルアックの旅仲間で、グリンダー氏の友人) について語りながら、「不完全性定理」を説明しています。
すなわち、キーシーは、自分が見ている光景をすべて描写できるが、自分自身を描写するためには、「メタ ポジション」に抜ける必要があり、そのメタ ポジションにいる自身を描写するためには、さらなる「メタ メタ ポジション」に抜ける必要があり、この過程は再起的に永遠に繰り返される必要があります。
「ゲーデルの不完全性定理」については、三点ばかりコメントがあります。
1) 二枚の鏡を一定の角度に置いて、自分自身を見ると、自分の無数の顔が奥に向かって連続的に後退ながら映し出されますが、鏡と自分の位置との関係上、物理上、絶対に、「一番奥の顔」は見れないようになっています。北岡は、この一番奥の顔が「真我」であり、「神」だと思っています。
2) 「ゲーデルの不完全性定理」をもとに、苫米地英人氏は、完全な系は存在しないことが証明されたので、神も完全ではなく、「ゆえに神は死んだ」と言っています。
一方で、項目 1) にあるように、鏡の中で「一番奥の顔だけは絶対見れない」のと同じ意味合いで、「すべての系は不完全だが、ゲーデルの不完全性定理が当て嵌まらないものが一つだけあって、それは系という概念も超えている神である。ゆえに、不完全性定理は、逆説的に、神の存在を証明した」と、北岡は考えています。
3) 「ゲーデルの不完全性定理」を NLP 演習に落とし込むと、床に「付箋紙」を置いて、それを「メタ」と見なし、その後にもう一つのメタの付箋紙を置く、というプロセスを、「下にどんどん重なっていく亀」のように、いわば永遠に、繰り返していくことになります。
この「永遠に後退していくメタの配置」は、NLP 共同開発者のロバート ディルツのアイデアですが、このアイデアをグリンダー氏に伝えたら、冗談気味に「それでは、付箋紙の製造メーカーの 3M を儲けさせるだけだ」とおっしゃった後、真顔で、「私は、ミニマリストなので、そんなことはしません。私は、一枚のメタの付箋紙があれば、その上に永遠に上位のメタを置き続けていきます」という名言を吐かれました。
実は、近年の北岡は、このグリンダー氏のミニマリストのモデルに基づいて、「観照者としてのメタ」には、「一番下の現象界よりのメタ」と「一番上の神そのものにはなれないが、限りなく神に近いメタ」があって、その間に無限のグラデーションがある、という立場を取ってきています。
そして、この「無限のグラデーションのメタ」のモデルが、近年北岡が独自開発したテクニック群が「現象界と神的意識の間の『羯諦羯諦波羅羯諦』(永遠なる自己拡張)」を可能にさせている根拠となっています。
(「羯諦羯諦波羅羯諦 (ぎゃーていぎゃーていはらぎゃーてい)」は、般若心経の末尾にある句で、英語訳は「Gone, Gone, Gone Forever」となっているので、北岡は、「行って、行って、行きまくれ」と和訳した上で、「永遠に自己拡張しなさい」という意味だと解釈しています。)
また、これはまだ直感的な仮説ですが、メタ心理学は、「レモンの味を知らない人にレモンの味を味わせることができない」 NLP をさらに進化させ、「レモンの味を知らない人にもレモンの味を味わせることができる」方法論に変容させたのではないか、と北岡は考えています。もしこの仮説が今後証明されたら、メタ心理学は、歴史上初めての「悟りを可能にさせる認識論的方法論」である、ということになります。
「知識は、体が覚えるまでは、噂にすぎない」は、NLP 共同開発者で、「身体統語」を提唱しているジュディス ディロージャが引用したニューギニアの諺です。
意味合いは、自分自身の体験に照らし合わせて、体感的に落とし込まれるまでは、知識は「耳年増」的で左脳的なエピステーメ (情報知) にとどまり、いっさい内的変容を引き起こさない、ということです。
この意味で、NLP は、「左右脳交流型の全脳学習法」である、と言えますが、このことを真に (グノーシス (体験知) として) 理解できている日本人の数は多くないと思われます。
北岡は、「グノーシス」は、「実際に人生を変えることができる、体に落とし込んだ知識」であり、「エピステーメ」は、「FAQ32: 『知識は、体が覚えるまでは、噂にすぎない』とは?」にもあるように、「体が覚えるまでは、噂にすぎない」左脳的な耳年増的情報である、と定義しています。
北岡自身は、グノーシスを「体験知」(あるいは、場合によっては、「霊知」)、エピステーメを「情報知」と訳していきたいと思っています。後者は、さらに、「脳機能知」あるいは「AI 知」であるとも定義できると思っています。
ちなみに、「FAQ40」では、「審神 (さにわ)」に関連して、「[上から来る] 超自我から来るメッセージ (『直感』) と [下から来る] 前自我から来るメッセージ (『記憶』) の識別のし方」について言及されていますが、北岡は、この「直感」を「グノーシス期的知識 (霊知)」と定義し、この「記憶」を「エピステーメ的情報知」と定義することもあります。
昨今の Google、Wikipedia の検索者は、エピステーメ的情報を集めることだけに終始しているように思われます。
さらに言うと、2022 年 11 月の公開以来、全世界的に「バズ」ってきている GAI (生成系 AI) である ChatGPT も、つまるところは、エピステーメ的情報としての無際限のビッグデータに基づいた「統計的処理マシーン」に過ぎず、その中には、生きた「霊知」であるグノーシスの「グ」の字も含まれていないと、北岡は考えています。
ちなみに、北岡は、2001 年の帰国以来、「自己啓発系」の業界で様々な先生やマーケターの方々と出会ったり、見たりしてきていますが、国内には、エピステーメ的学習法を教えている先生やマーケターしかいないように思えてなりません。これでは、「ネットでのエピステーメ的情報検索者」の数を増やすことしかできないし、さらに言うと、80 年近くにわたる GHQ の全国民洗脳体制を「強化」することにつながっていったとしても、国民をそこから「脱却」させることにはなっていないことは、当然の帰結です。
北岡自身、帰国後二十余年間、単なる「孤高の狼」の警鐘の遠吠えを上げ続けてきていましたが、やっと「メタ心理学」を提唱することを通じて、北岡は「狼少年」ではなく、実際に日本を変えることができる方法論をもった人間であることが、少しづつであれ、認知されていくのではないか、という予感を、今もっています。
武術の天才ブルース リーは、生前、「俺は、1 万通りの蹴りを (1 回づつ) 行う奴は怖くない。ただ、俺は、一つの蹴りを 1 万回やる奴だけは、怖い」という名言を残しています。
これについては、北岡は、以下の URL にある「学習樹図」(北岡著『5文型とNLPで英語はどんどん上達する!』(ダイヤモンド社刊) から引用) を引き合いに出して、「0% から 60% への学習の成長に必要なテクニックと 99.99% から 99.999% に進む学習の成長に必要なテクニックは、まったく同じ基本的テクニックである」と主張しています。
https://www.meta-psychology.info/work/img/tree.png
「FAQ33: 『グノーシスとエピステーメ』について」にある「エピステーメ派の学習者」は、物事に目移りして、常に新しい方法論を探して、一、二度試してきて、また次の方法論を探し始める「1 万通りの蹴りを (1 回づつ) 行う奴」ですが、「グノーシス派の学習者」は、一つの方法論を徹底的に研究して、ありとあらゆる状況で自分自身で試して、そのノウハウを漸増的に血肉化していく「一つの蹴りを 1 万回やる奴」です。
あのブルース リーさえも怖がらせた「グノーシス派の学習法」が、「左右脳全脳学習型 NLP」およびメタ心理学に他ありません。
フレデリック ラルーが提唱した「ティール組織」とは、北岡の理解では、GAFA 式の組織経営法である、と理解していて、この組織には、権力を集中させたリーダーは存在していなくて、上下関係的ヒエラルキーもなく、現場においてメンバーが必要に応じて意志決定をおこなうことが特徴です。各メンバーは、組織の目的をはっきりと理解し、組織の使命を果たすための行動をする必要があります。また、ティール組織におけるメンバーは、それぞれが対等なフラットな関係であり、組織はメンバー全員のものであると考えます。
(ちなみに、ティールは、色の名前で、青緑色のことです。ラルーは、「赤 (衝動型) の組織」、「琥珀 (順応型) の組織」、「オレンジ (達成型) の組織」、「緑 (多元型) の組織」、「ティール (進化型) の組織」の五つの組織の進化形態を提唱しています。)
実際、北岡は、数年前、知人のワークショップに参加するために、Yahoo Japan の紀尾井町本社に行ったことが何度かありましたが、社内に、ジャングル ジムのような遊技場があったり、自分のデスクがなかったり、といった「ティール組織」的な構造を取り入れようとしているようでした。
ちなみに、このワークショップの関係者に、「ティール組織の源泉は何ですか?」と質問したときの回答に、北岡は、度肝を抜かれました。
この方の回答は、「それは、トランスパーソナル心理学者のケン ウィルバーの『四象限』です」でした。
実は、北岡は、英国滞在時代の 80 年代、90 年代に、ウィルバーを研究していて、「SHAP」という催眠学校に通っていた時の卒論のトピックは、まさにそのウィルバーの『アートマン プロジェクト』でした。
ただ、その頃、ウィルバーの『Sex, Ecology, Spirituality』(1995 年刊、邦訳名は『進化の構造』) を購入して読み始めたのですが、その「四象限」のモデルがあまりにも左脳的すぎて、辟易した北岡は、その時点で、ウィルバー研究を中座しました。
その後、二十余年後に、ウィルバーの「四象限」が「ティール組織」の源泉になってきていることを知って、北岡が「無視」していた間に、ウィルバーは、独自の進化を遂げ、現代社会で重要視されているこの組織形態モデルの誕生に多大な影響を与えていたことを認識しました。
その後、「慌てて」、ウイルバー著の 800 ページ超の『SES』と数冊の関連書を読んだのですが、1995 年以降のウィルバーは、主に、「成人発達論」の論客として活動してきていることを知った次第です。
前項の「FAQ35」で書いたように、北岡は、英国滞在時代の 80 年代、90 年代に、ウィルバーを研究していました。
初期のウィルバーは、(処女作の『意識のスペクトル』、『アートマン プロジェクト』等で示唆されるように) いわば「悟りの心理学者」的な立ち位置でしたが、1995 年に刊行された『Sex, Ecology, Spirituality』(邦訳名は『進化の構造』) 以降は、全世界、全時代の思想と思潮を完全止揚統合した「統合的スピリチュアリティ」を提唱しようとしてきています。
そして、「全世界、全時代の思想と思潮を完全止揚統合した」モデルとして、「四象限」を提唱してきているのですが、その過程で、ウィルバーは、古くは 19 世紀のジェームズ マーク ボールドウィン、児童心理学者として知られているジャン ピアジェ等を筆頭にした「成人発達論者」を網羅的に研究したようですが、ウィルバーによれば、これらの約 20 名前後の真正な「成人発達論者」たちは、理論でも、仮説でもなく、実際のフィルード ワークとして、「全世界の子供は、性別、人種等を問わず、全員、同じ成人発達の過程を経る」ということが発見されたと主張している、ということです。
一つの例として、ピアジェの実験として、以下のことが発見された、ということです。
二歳くらいの子供に、半分赤、半分青のボールを見せます。半分赤の部分がその子供に向いているとき、「あなたは何色を見ていますか?」と聞いたら、「赤色です」と答えることができますが、「あなたは、私が何色を見ていると思いますか?」と質問したら、この歳の子供は、全員、性別、人種等を問わず、「赤色です」としか答えられないそうです。
また、三歳くらいの子供に、大小二本の PET ボトルを見せて、同じ量の水を二本のボトル間で入れ替えた場合、この歳の子供は、全員、性別、人種等を問わず、「大きなボトルの方が水が多く入っている」としか答えられない、ということです。
また、この子供が成長した二、三年後に、このことを収録した動画を見せると、ほぼ全員、「僕は、こんな馬鹿なことをするはずはない。編集した動画で、僕を騙そうとしていますよね」と言うそうです。
(このことは、人間は、あるパラダイムの中で形成した思考パターンを、別のパラダイムの中では、いっさい取ることができない、という実に興味深く、極めて重大な事実を示唆しています。)
ウィルバーは、成人発達の過程として、「自己同一化 (Fusion)」→「分化 (Differentiation)」→「再統合 (Integration)」の「FDI サイクル」を提唱していて、通常、幼児期の発達時に、このサイクルが途中で止まって、「アンフィニッシュド ビジネス (未解決の問題)」として残滓が残り、このことで「自己実現」が阻害される、と示唆しています。
たとえば、上記の、相手が見ているボールの色は自分が見ている色と同じだとしか思えない発達段階で FDI サイクルが途中で止まった場合は、大人になって、他の人の立場になれない人になってしまいます。
北岡は、この場合、大人になった後でも、NLP の「知覚ポジション変更」のようなテクニックを自己適用すれば、後追い的、遡及的に、子供の時途中で止まってしまっていた FDI サイクルを最後まで回し切ることが可能になっている、と見ています。
同様に、「大きなボトルの水の方が多く入っている」としか答えられない子供が、この段階で FDI サイクルが止まったまま大人になったら、「中身は無視して、外見だけで判断する」人になると思われますが、この場合も、NLP の「意図と結果」モデル (現象界で起こっていることは、目に見えない意図もしくは目的によって生まれている、と見るモデルです) によって、子供の時途中で止まってしまっていた FDI サイクルを最後まで回し切ることが可能になっている、と北岡は考えています。
いずれにしても、メタ心理学者の北岡のスタンスは、ウィルバーの成人発達論から非常に強い影響を受けてきています。
トランスパーソナル心理学は、歴史的には、1960 年代アメリカで、学生運動、ドラッグ文化、ヒンドゥー教や仏教などの東洋思想の流入、ニューエイジ運動の影響を受けた形で、フロイトの精神分析、ワトソンの行動主義心理学、アブラハム マズローの「人間性心理学」に続く、「20 世紀の四大潮流の心理学」の一つとして誕生しました。
トランスパーソナル心理学国際的学会の初代会長は、出産時のトラウマが以降の人間人生の流れを決定づけると考え、サイケデリック セラピーを研究し、後年、呼吸法を用いたホロトロピック ブレスワークを開発した、チェコ出身のスタニスラフ グロフでした。
前項の「FAQ36」で論じられたケン ウィルバーは、トランスパーソナル心理学の重鎮です。
ちなみに、日本へトランスパーソナル心理学を紹介したのは、吉福伸逸氏でした。英国滞在当時、北岡が会いたいと思った日本人の思索家は、吉福氏ただ一人でした。
北岡は、吉福氏が亡くなる前年の 2012 年に、千葉の廃校で開講された吉福氏のワークショップに二度参加しましたが、60 年代のハード セラピーを、50 年後にも実践されているのを見て、著しい驚きを覚えました。
北岡に対して、「NLP など糞なので、即刻やめろ」とおっしゃったり (実は、吉福氏は、プラブッダ (星川純) と「NLP の父」と称されるグレゴリー ベイツンの『天使のおそれ』共訳された方だったにもかかわらず、です)、グロフ、フリッチョフ カプラ、チャールズ タルト等、吉福氏が日本にいるときにその著書を翻訳され、実際に交流もあった「ニュー サイエンス系」の思索家について、いろいろお聞きしようとしたら、「ここにいる若い参加者たちは、そういう情報は知らないので、その質問はしないように」と言われました。また、「トラウマは絶対に解消されない」というスタンスをもたれてもいました。
思うに、吉福氏は、1989 年に、日本での経歴と業績を捨てて、米国ハワイに移住された時点で、過去を精算されたようです。ただ、2012 年の千葉での合宿ワーク参加後、3 年後くらいに、北岡は、1980 年代の吉福氏をよく知っていた方 (当時、吉福氏と共同で、グロフ、カプラといった「ニューサイエンス」の重鎮の方々を日本に招聘された方でした) と出会い、「吉福氏が、亡くなる前年までハード セラピーをされていましたよ」と伝えたら、この方は、「吉福さんが 89 年にハワイに移住する時、今後セラピーはいっさいやりません、と言っていたのに」と、極めて驚かれていました。
日本での経歴と業績は捨てられたのに、自身の経歴の原点であると思われるエサレン研究所的セラピーに亡くなるまで固執し続けられたのは、興味深いことです。
吉福氏の功罪の「+」と「-」の差は、非常に大きいのでは、と北岡は考えています。
北岡は、「成人教育 (生涯学習)」については、「4 歳までに作られたプログラミング群で、人の『世界地図』が作られているが、大人になって、その世界地図がうまく機能していないことがわかったら、意識的にそれらのプログラミング群を『リバースエンジニアリング』して、世界地図がうまく機能するようなプログラミングを再インストールする必要がある」と考えていて、その「4 歳までのプログラミング群のリバースエンジニアリング」の過程を「成人教育 (生涯学習)」と定義しています。
北岡は、欧米では、大人になって、北岡の意味での「成人教育 (生涯学習)」を行う人々は、比較的多くいる、と思っていますが、日本では、カルチャー スクール等で、趣味程度の「成人教育 (生涯学習)」を行なっている人は多いでしょうが、真の意味での自己変容、自己拡張を可能にするような「成人教育 (生涯学習)」を行なっている人は、少ないと思っています。
「メタマインド」の解説は、「FAQ16: 北岡泰典は「左脳的解説者」か?」 でされていますが、「ノーマインド → マインド → メタマインド」の北岡自身の公式は、要は、「前自我 → 自我 → 超自我」のことです。
この「三位一体説」は、以下の図にあるように、さまざまな形で、「公式化」されています。
https://www.meta-psychology.info/work/img/metamind.png
最近、北岡が、「ウィルバー モデル」に基づいて、提唱している「自己同一化 (Fusion)」→「分化 (Differentiation)」→「再統合 (Integration)」の「FDI サイクル」も、この公式の一形態である、と考えています。
(ケン ウィルバーは、「自己同一化」として「Identification」の語を使っていますが、同時に、「Fusion」の語も併用しているので、北岡は「FDI サイクル」の用語を使っています。)
「HNLP (ヒューマニスティック NLP)」の人々は、非常に興味深いことを言っています。
すなわち、HNLP によれば、「前自我 → 自我 → 超自我」のうち、「超自我」 (北岡モデルでは「絶対意識」とも呼ばれています) から「自我」に来るメッセージは、直接来ることはできず、必ず、「前自我」を通ってしか「自我」に来れません。そして、前自我から来る超自我のメッセージは、通常、「象徴」、「記号」、「夢」等として表現されます。
実は、超自我から来るメッセージ (「直感」) と前自我から来るメッセージ (「記憶」) の識別のし方については、ハワイのスピリチュアル メソッドの「ホ オポノポノ」でも言われていて、このメソッドによれば、通常この識別はできないが、4 つのマントラを唱え続けたら、汚れていたプレートがきれいになり、この識別ができるようになる、とされています。
「超自我から来るメッセージ (『直感』)」は「グノーシス (霊知)」と、「前自我から来るメッセージ (『記憶』) 」は「エピステーメ (情報知)」と、密接な関係があります。
北岡は、この「超自我から来るメッセージと前自我から来るメッセージの識別」とは、神道系の「上級神と下級神の声を聞き分ける『審神 (さにわ)』」のことそのものではないか、と見てきています。
おそらくですが、HNLP のモデルは、ホ オポノポノの影響を受けているように思う反面 (HNLP の創始者はハワイ在住だったようです)、北岡は、ホ オポノポノの言うマントラでは、審神ができるようにはならない、と思っています。
その中で、NLP には、「無意識シグナル」、「ガッツ フィーリング」、「コア フィーリング」といった、無意識が意識に対して送り続けている微細なシグナルに気づけるようになるテクニックがあり、北岡は、これらのテクニックで自分の無意識との交流力を高めれば、審神力を身につけることもできる、と考えています。
北岡は、過去、欧米に 20 年間住んだので、「フェンスの両側が見える」と思っていますが、その視点から見ると、日本国民は、戦後 80 年近くにわたって、GHQ とマッカーサーの完全洗脳にかかり続けてきているように思えます。
思うに、歴史的に、アメリカ本土を直接攻撃した国/人は、二つしかない、と北岡は見ていますが、それは、1941 年の真珠湾攻撃の日本と 2001 年の 9.11 NY テロリズムを主導したオサマ ビン ラーディンです。
オサマ ビン ラーディンは、2011 年にパキスタンで、アメリカ海軍が行った軍事作戦によって殺害されましたが、戦争末期に「神風特攻隊」を組織して、米国の艦船に体当たり攻撃を実行した日本人に対して、「金輪際二度と立ち上がらせないようにしてやる」とマッカーサー等の米国政府高官が考えただろう、ことは想像に難くありません。
船井総研の故船井幸雄は、ある小雑誌で、GHQ が日本人洗脳のために行ったこと 4 つを指摘していました。
一つ目は「大麻規制」であり、二つ目は「(自由闊達な校風があった) 旧制高校の廃止」で、三つ目は「(歴史上の重要書を読ませないための) 当用漢字の制定」でした (もう一点は、現時点で、資料が特定できていないので、未確認です)。
この 80 年間の GHQ の呪いにかかり続けている日本人の多くが「思考停止状態者」、「一聞いて一しかわからない」人間になっている事実は、おそらく井の中で育った蛙には、気づくことがそうとう難しくなっていますが、これさえも GHQ の呪いの一部として組み込まれている、と、北岡は見ています。
編集後記: 本 FAQ を読み返していて、歴史的にあれだけ「認識的拡張主義者」であったアメリカ人は、戦争末期の「神風特攻隊」だけは、「俺たちの認識的拡張主義を超えた奴らだ。俺たちを超えた唯一の人種だ」と腰を抜かし、「失禁」して、今後「数千年間」は、絶対日本人を立ち上がらせないように、と決めたのでは、と改めて思いました。
北岡が提唱している「メタ心理学」の特徴について、改めて考えてみましたが、以下の三大特徴があるのでは、と思いました。
* 「ボディ/マインド/スピリットの三位一体の整合」
(「FAQ24: 『ボディ/マインド/スピリット』ついて」を参照のこと)
* 「現象界と神的世界の『羯諦羯諦波羅羯諦』 (永遠の止揚統合)」
(「FAQ31: 『下にどんどん重なっていく亀』とは?」を参照のこと)
* 「『チョイスポイント』における選択肢の拡張支援」
(「FAQ10: 『チョイスポイント (選択点)』について説明してください」を参照のこと。
このことにより、行動上の柔軟性を獲得できるようになると同時に、4 歳までの間に
確立したプログラミング群の解除が可能になります。)
メタ心理学とその源泉である NLP は、実践者に、「継続的に自分のボックスから出て、新たな視座をもつ」ことを可能にしてくれる認識論的かつ実践的な方法論です。
北岡は、GAFA の源泉は、「ボックスから外に出る」方法論の NLP であり、それが、GAFA のイノベーションにつながっている、と考えています。
北岡は、「自己観察」、「本当の自分を知る」ことの観点から言って、20 世紀に、3 つの大発見があった、と考えています。
一つ目は、1961 年に、ソ連の宇宙飛行士のガガーリンが宇宙に飛び出し、「地球は青かった」と述べた出来事です。
思うに、45 億年前に地球ができて以来、それまで地球にへばりついていた「地球生命体」が地球を離れたのは、まさしく、この出来事が初めてでした。
北岡は、これは、人類が「自分自身を外から見始めた」すなわち「『物理的』にメタの視点をもち始めた」最初の瞬間だったと思います。ここに、人類の「唯物論的なメタの歴史」が始まった、と言っても過言ではないと思います。
二つ目は、30 年ばかり前に流行った「バイオフィードバック装置」です。
これは、二本の指に電極をつけ、自律神経がリラックスしていれば、その電極とつながっている玩具の電車が普通に走り、自律神経が緊張する度に、電車が止まるようになっていて、「目に見えない無意識のリラックス度を『見える化』する」ことで、状態管理力を向上させる装置でした。
10 年くらい前に、資格認定コースの「卒業打ち上げ会」に、コース参加者のお一人が「猫耳」と呼ばれているバイオフィードバック装置をもってきて、「北岡先生、このヘアバンドをつけてください」と言いました。
これは、猫耳の動き方で、装着している人がゾーン状態 (α 波状態) にいるのか、覚醒状態 (β 派状態) にいるのか、等がわかる装置でした。
実は、北岡は、コース中、ずっと、「私はいつもゾーン状態で講義しています」と言っていたので、この参加者の方は、北岡が本当のことを言っているのか、確かめようとしたらしいです。
ところが、北岡がその装置をつけたとたん、ゾーン状態を示す猫耳の動きになったので、北岡が嘘を言っていなかったことが証明され、参加者は全員びっくりしました。「ミイラ取りがミイラになってしまった」次第でした。
この「ゾーン状態にいる北岡泰典」の動画が、以下で閲覧可能です。
ちなみに、参加者の一人があることを言った途端、北岡は、トランスから目覚めました。それは「先生、すごい!」という一言だったのですが、北岡自身は、そう思っていなかったので、覚醒してしまいました。
三つ目は、神経科学の分野の fMRI の発見です。
これは、人間ドックのような形の装置で、血流に基づいて脳の各部位の活動を測定する装置で、さまざまな色によって、部位の活動の活発度がわかります。
fMRI の発見については、次項の「FAQ45: 現代脳神経科学者の発見について」を参照してください。
これら三つの発見とも、北岡の私見では、今まで見ることのできなかった自分自身 (あるいは自分の無意識の部分) を見始めることを可能にした、心理学上最重要な発見でした。人間が、物理的に「メタの視点」を自分の外側に作り出す契機となった人類上の最大事件群でした。
前項の「FAQ44」で、北岡にとっての 20 世紀三大発見の一つとして、神経科学の分野の fMRI の発見について言及しました。
北岡は、過去数年以上にわたって、現代脳神経科学を研究してきていますが、fMRI で発見されてきていることは、文字通り、畏怖の念を感じさせることばかりです。
北岡自身、若い頃は、頭の中の脳は豆腐のようで、右耳から入る信号が左耳から抜けていく、程度の考えしかもっていませんでしたが、fMRI というツールによって、どのような電気化学信号がどの器官を通って、どの器官に進み、再度どの器官に戻ってくるか、等の神経系統回路のマッピングが極めて克明に、正確にできるようになってきています。
これについては、一例ですが、以下の PDF 資料を参照してください。
https://www.meta-psychology.info/work/img/brain_mechanisms.pdf
特に、以下の動画の前半部では、神経系統回路が (実際にではなく、象徴的にですが) どのように回転しているかが視覚化されています。
動画の後半部は、シナプスがどう機能し、樹状突起と軸索がどう動き、変化するかが、視覚化されていますが、この動画の内容が、実際に人間の脳の中で起こっていることである、とされています。
北岡は、動画の前半部の、美しい神経系統回路の回転体を「綿飴/ケバブ モデル」と呼んでいます。メタ心理学のテクニックの「コア フィーリング」テクニックでは、意識が無意識に、「綿飴/ケバブ体」の回転を逆転させるようにお願いすることで、それまで分泌されていたネガティブな神経伝達物質の代わりに、「ワクワク感」系のドーパミン、エンドルフィンが分泌され始めることが可能になっています。
また、NLP 共同創始者のジョン グリンダー氏は、十数年前に、以下の「グリンダー式主観的体験モデル」(詳細は、「FAQ55: 『グリンダー式主観的体験モデル』について」を参照のこと) を提唱し、「変換変換の連続である『フィルター 1』の箇所 (要は、北岡の言う「綿飴/ケバブ回転体」のことです) は絶対に見える化できません。もし見える化に成功する人がいたら、ノーベル賞を受賞するでしょう」とおっしゃっていましたが、北岡の見るところ、過去二十、三十年間、現代神経科学者たちが行ってきていることは、まさしく「フィルター 1 の見える化」そのものです。
https://www.meta-psychology.info/work/img/jg_model.gif
ちなみに、動画の後半部のシナプス、樹状突起、軸索の機能のし方については、北岡自身、特に過去 4 年間、「ピーク エクスペリエンス体感ワーク」というテクニックを継続的に自己適用してきているので、北岡自身の脳内の神経細胞と神経系統群は、実際に物理的に変化してきていて、普通の人間の脳内とは物理的に違うようになってきている、と思っています。
このため、北岡の脳を fMRI 等でスキャン検査すれば、「自己啓発難民」だった頃の北岡の普通人としての脳から「天才」の脳にどう物理的に変化したかを記録できるのではないか、と考えています。
いずれにしても、fMRI 以前は、脳がどのように作られているかは、文字通り「神のみぞ知る」の領域だったのですが、fMRI の到来により、「人間は、『神の領域』に入り込み、かつそのプロセスに人間が『介入』し始めた」と、北岡は、真剣に考えています。
「FAQ26: 『シンギュラリティ』について」等で、北岡は、「Consciousness (人間意識) はともかく、Awareness (絶対意識) を作り出すようなシンギュラリティは絶対起こらない」と断言的に主張していますが、もしかりに「Awareness (絶対意識) を作り出すようなシンギュラリティ」が起こるとしたら、その要因になるのは、単なる人間の産物である AI の進化などではなく、AI を生み出している人間の側の神経科学的研究を通じた「神の領域の徹底的可視化」の行く末にある、と北岡は考えています。
そして、そこに、唯心論と唯物論の真の止揚統合が起こる、と北岡は見ています。メタ心理学は、その「意識 (Awareness) の認識論的可視化」という壮大なプロジェクトの第一歩である、と、北岡は主張いたします。
以前、北岡はスポーツ コンサルタントの西田文郎氏を「比較的に徹底的」に研究していましたが、同氏は「ある領域の学問のノウハウを、(誰もわからないので) 別の領域の学問で使いまくるべきだ」ということを勧めていて、かつ、その高級書『人望の法則』の 113 ページの「アンカーによって事前決定される精神状態」の図が、北岡のコース マニュアルに掲載されていた図とほぼ同一だったので、同氏は自身の進言を自ら実行されていることを知り、その研究を終えた次第でした。
同氏に関しては、要は、「扁桃核を快にする」必要性を主張されている、と北岡は理解するようになり、その後、扁桃核の権威者を研究したいと思っていました。その頃、ある集まりで、扁桃核を研究されていた日本人の方と話をして、その著を購入して読ませていただきましたが、その中で「扁桃核の世界的権威はジョゼフ ルドゥーである」という一文に出会いました。
こうして、ルドゥーの『Synaptic Self』その他の書を読み始めたのが、北岡の神経科学の研究の端緒となりました。その後は、読み終えた神経科学関連の各書の後ろにある「参考文献リスト」を参考にして、他の重鎮の神経科学者関連の本の読書を続け、自身のこの分野の研究の幅を広げてきています。
北岡は、扁桃核の世界的権威のルドゥーからこの器官について多くのことを学びました。たとえば、ルドゥーの兎の実験は、実に興味深いと思いました。
ルドゥーは、兎に、通常は識別が難しい二つの似た音を聞かせた後、マイルドなショックを与えながら一方の音を聞かせ、他方の音は、ショックを与えないまま、聞かせました。こうして、兎が二つの音を聞き分けることができるようになった後、ルドゥーは兎の側頭部の聴覚的大脳皮質を外科的に切除しました。
この後、その兎は、再度、二つの音を聞き分けられなくなったのですが、興味深いことに、皮質切除前は、一方の音だけに (ビクッとする、といった) 条件反射的反応をしていたのに、切除後は、両方の音に対して、条件反射的反応をするようになりました。
ルドゥーの解説によれば、「爬虫類脳」 (この用語は、不適切で、現在は使われなくなっていますが) 的な扁桃核の目的は、高速処理をして、「アバウト」に反応することにあり、大脳皮質の目的は、比較的に時間をかけて、低速処理をして、正確に分析することにあります。
思うに、兎が野原に出て、「蛇を棒切れと捉えたら」、その兎は即刻蛇に食べられてしまいますが、「蛇も棒切れも、蛇と捉える」というアバウトな即決的判断は、たしかにこの個体としての兎のサバイバルの可能性を著しく高めていることになります。
北岡のクライアントの中に、大脳皮質の方が状況が見えて、より的確な判断ができるのでは、とおっしゃった方がいましたが、北岡は、そのような判断をしている兎は、その最中に蛇に食べられてしまう、と考えています。ここに、「右脳 (無意識) が左脳 (意識) を支配している」と考える派と「左脳が右脳を支配している」と考える派の違いが現れています。
ちなみに、我々は、扁桃核 (すなわち、無意識) を敵に回したら人生は地獄になり、味方にしたら、人生は楽園になる、と北岡は思っています。
ルドゥーは、都会に住む現代人間にとって、野原に住む兎には致命的に必要だった扁桃核が、盲腸の虫垂のように、古代の器官が過去の遺産として残っているだけだ、と示唆しています。
北岡は、このルドゥーの研究に基づいて、人間のトラウマ、PTSD 、フラッシュバック等の原因は、概ね、幼児期に、たとえば、母親のある言葉、目つき等に扁桃核が強い反応をするようになった後、大人になって、同じような言葉、目つきを他の人 (男女を問わず) が示した時、扁桃核が、「その人を母親と勘違い」して、条件反射的に「過剰反応」していることにあるだけだ、と考えています。
(この扁桃核の過剰反応が、エクハート トールの言う「ペイン ボディ」と密接に関係していると思われます。)
ちなみに、ある時、日本人の男性のヨガの先生との話で、扁桃核が話題になったとき、その先生は、「扁桃核についての情報は、我々も知っています。通常、パニックは、扁桃核が 90 秒暴走したときに起こります。教室で、ある生徒さんがパニックしているときは、『窓を見てください。壁を見てください。机を見てください。他の生徒さんを見てください』というふうに (ヴィパサナ瞑想的な) 観察をさせることで、パニックは収まります」と教えてくれました。もう一つの例として、その方は、
「ある時、生徒さんから電話があって、『先生、泥棒が家にいて、出ていった後に、帰宅しました。もう一度戻ってくることが怖いです』ということだったので、『PC を出して、泥棒が戻ってくる確率と飛行機が落ちる可能性のどちらが高いかネット検索してください』と指示しました。しばらくして、その方は、PC 検索が終わり、『先生、飛行機が落ちる可能性の方が高いことがわかりました。もう安心しました。では、今から散歩に行ってきます』と言って、電話をガチャンと切りました。」
とおっしゃいました。
北岡は、両方のケースとも、従来は扁桃核の方に吸い取られていたエネルギー (化学電気信号) を、ヴィパサナ的観察や PC 操作を通じて、前頭葉等の別の器官に流し変えることで、扁桃核の暴走を鎮めることができる、というメカニズムに基づいている、と考えていて、このような臨床的対応をすれば、トラウマ、PTSD 、フラッシュバック等の反応をしているクライアントの方々の問題克服を支援できる、と見ています。
ただ、ルドゥーは、最新の著『我々自身の深層心理的歴史』で、自身の初期の書籍の中で、トラウマ等の原因が扁桃核だけにあるということを強調しすぎていた、と反省の弁も述べています。
ちなみに、ルドゥーは、キャリアの当初、師匠のマイケル ガザニガとの共同研究で、重度の癲癇症の治療法として左右脳の間の脳梁を「完全除去」することで、発作がすべて収まることを発見していました。
この脳梁が完全除去された患者の実験で、その人の鼻の前に衝立を置き、左目で見ているものは右目で見ることができず、右目で見ているものは左目で見ることができないようにしました。
この状況で、患者の左目に「殺人」という言葉を書いたカードを見せた時、患者は、身震いをしましたが、なぜ自分が身震いしたかの理由を言うことはできませんでした。同様に、患者の左目に「お母さん」という言葉を書いたカードを見せた時、患者は、体全体に暖かみを感じましたが、なぜ自分がそう感じたかの理由を言うことはできませんでした。
これは、左目からの情報は、体感を感じる役目をしている右脳に入っていますが、その情報は、言語活動を司っている左脳にはいっさい入っていないので、言葉を発している左脳には、身震い、体の暖かみの理由がわからないままでいることによって起こる現象でした。
ちなみに、脳梁完全切断者が右脳で体感していることを左脳で言語化できないのは、脳機能的に見て当然なことですが、北岡は、たとえ脳梁が完全だとしても、通常の生活で左右脳の交流の訓練をしていない健常者にも、同様なことが起こっている可能性が実に高い、という見立てをしてきています。
国内の英語学習法では、どの大手書店を見ても、会話、文法中心の参考書しかないようだったので、その「アンチテーゼ」として、2007 年に、ダイヤモンド社から『5文型とNLPで英語はどんどん上達する!』を出版しましたが、この「潮流」は変えることができなかったようです。
北岡の見るところ、「5 文型」あるいは「統語」の重要性を説いた参考書は、拙著と『「本当の英語力」は 5 文型で劇的に伸びる』(芦永奈雄著) 等、二、三冊しかないようです。
この国内の状況は、北岡は、「FAQ46: 心理的問題の原因は扁桃核にある?」の項の最終部でも示唆したように、「左右脳交流型」の英語学習法を自己適用してきている一方で、日本人の大半は「左脳オンリー型」もしくは「右脳オンリー型」の英語学習法を選んでいるようで、前者の人々は、まったく英語が喋れないでいる反面、後者の人々は、直感的に会話、文法を習得しなければ英語は上達しない、というパラダイムの中にいるようです。
北岡は、今後、メタ心理学が世間に浸透していって、「左右脳両脳交流型学習」が国内で受け入れられていく度合いと、英語学習において『5文型とNLPで英語はどんどん上達する!』の方法論が採用されていく度合いは正比例するだろう、と考えています。
「ゾーン状態」とは、「変性意識」の一種で、その状態にいれば、ある特定のパフォーマンスがピンポイント的に発揮できるようになっています。
「ゾーン状態」は、催眠状態、トランス状態とも定義できますが、デイブ エルマンは、『Hypnotherapy』で、催眠状態について、以下の二つの定義をしていますが、北岡は、これらの定義は、「ゾーン状態」にも、そのまま当て嵌まると、考えています。
1) 批判的マインドがバイパスされている状態
2) 選別的意識がある状態
前者は、ハイパフォーマンス状態にいて、否定的な「内的対話」、「イメージ」、「体感」が一切ない状態、と言い換えることができると思いますし、後者は、「パフォーマンス発揮」だけに集中していて、何も他のことは考えていない状態、と言い換えることができると思います。
さらに、「ゾーン状態」は、「FAQ59: 『アンカーリング』の同義語について」にある「アンカーリング」および「アンカーリングの同義語」と密接な関係がありますが、その中でも、アーネスト ロシの言う「SDMLB (State Dependent Memory, Learning and Behavior、状態依存の記憶/学習/行動)」が、特に興味深いモデルになっています。
たとえば、舞台に上がれば世界が驚愕するすばらしいパフォーマンスを提示できる一方で、ステージから離れると常に緊張していて、ステージに上がる前には「舞台恐怖症」をもっていさえいるかもしれない天才的な女優がいるとします。
この例では、SDMLB モデルによって、この女優はステージの特定のスポットに立つ必要があり、いったん彼女がそのスポットに立ちさえすれば、そのスポットと関連付けられている、彼女が過去に獲得してきている記憶、学習、行動全体が自動的に彼女に訪れて、瞬時に天才的なパフォーマーになれる、ということが容易に理解できます。
彼女は、その正確なスポットに立たないかぎり、状態 (すなわち、スポット) 依存の記憶、学習、行動 (SDMLB) にアクセスすることがどうしてもできないままでいます。
このように、自分の最高のパフォーマンスが発揮できる一式の過去の「記憶、学習、行動」が「依存」している「変性意識状態」こそが「ゾーン状態」そのものです。
「マインドフルネス」は、1979 年にジョン カバット ジンが、心理学の臨床的な技法として体系化した瞑想メソッドです。
カリフォルニアを中心に禅ブームが巻き起こった後、瞑想が広がっていき、Apple の共同創設者のスティーブ ジョブズも、このメソッドを学んだようです。
2007 年からは Google がマインドフルネスを企業研修として開発、世界的に大きな話題になり、続く企業が多く現れ、世に知られるようになりました。
北岡は、すべての瞑想メソッドの起源は、2,600 年前のパタンジャリの『ヨガ ストラ』にあると見ていて、その観点から言えば、マインドフルネスは、大衆向けにわかりやすくパッケージ化した瞑想法ということになると思っています。
北岡は、すべての瞑想メソッドの起源は、2,600 年前のパタンジャリの『ヨガ ストラ』にあると見ています。
たとえば、北岡の師匠は、20 世紀後半に、「多忙を極める現代人には、古代からの座って行う瞑想は合っていない」ということで、体を激しく動かす「ダンシング瞑想」を始めましたが、北岡の見るところ、2,600 年前のパタンジャリの『ヨガ ストラ』のパラダイムは超えていないと思います。
『ヨガ ストラ』の良書の注釈書としては、ヴィーヴェクアーナンダ著『ラージャ ヨガ』、アベダナンダ著『ヨガ心理学』、プラバヴァナンダ & クリストファー イッシャーウッド著『神を知る方法: パタンジャリの格言』、バグワン シュリ ラジニーシの『アルファとオメガ』等があると思います。邦書では、佐保田鶴治著『ヨーガ根本教典』等が知られていると思います。
また、瞑想の目的は、「ネティ ネティ (あれでもない、これでもない)」という手法で、すべての自己同一化の解除を行うこと、と定義されることがあります。
たとえば、ヴェーダンタの「五つの鞘」と NLP の「心身論理レベル」には、共通点があります。
前者は、「真我 (アートマン)」は、(外側から)「肉体、エネルギー、記憶、知性、至福体」の 5 つの鞘に囲まれていますが、瞑想は、「本当の自分は、肉体ではない、エネルギーではない、記憶ではない、知性ではない、至福体ではない」というふうな自己同一化の解除の末、一番奥の玉ねぎの芯 (アートマン) を発見することだ、と言われています。
(仏教徒は、このアートマンを「空、無」と定義し、ヴェーダンタ哲学者は、アートマンに実体がある、と定義しています。北岡が徹底的に研究した非二元論的ヴェーダンタの創始者シャンカラチャリヤは、この実体のあるアートマンと外の宇宙原理であるブラーマン (神) は同一であるという「梵我一如説」を説きました。)
後者は、人間には、「環境、行動、能力、信念、アイデンティティ」の 5 つの情報処理レベルがあると提唱していますが、北岡は、「環境の中に肉体があり、エネルギーがあるので行動があり、記憶があるので能力があり、知性があるので信念があり、本当のアイデンティティは至福体である」という意味で、NLP の心身論理レベルは、古代印哲の五つの鞘の焼き回しである、と考えています。
この「五つの鞘」(あるいは「心身論理レベル」) について、ケン ウィルバーは、興味深いことを言っています。
ウィルバーによれば、通常、人間は、生きている間に、「自分と肉体の自己同一化解除」の訓練をしていないので (すなわち、瞑想をしていないので)、死んだ直後、ドーパミンが出まくっている至福状態 (神) になるが、(本来的には、そこでとどまっていればいいのに) 自分に体がないことに気づいてパニックして、一つ下のレベルに落ちて、そこでまたパニックする、ということを 5 回繰り返して、最終的に輪廻として、生まれ変わる、ということです。
この真偽は別にして、モデルとしては、非常に興味深い考え方だと思います。
易経では、2020 年は「庚子 (かのえね)」の年で、これは 60 年に一度の「新時代の始まり (一陽来復) の年」ということになります。「庚子の年」からは、「激動の新時代」が始まり、個人としては、新しい価値観を構築し、組織としては、新しい局面に対応できる人材の育成と活用を実践していかないかぎり、個人も、組織も、この大改革の時代を生き延びていくことはできなくなって、淘汰されていく、と言われています。
実際に、文字通り、旧暦の庚子の年が 2020 年 2 月の節分に始まった途端、中国で新型コロナ ウィルスの問題が発生し、世界中が大パニックになり、易経の予測があまりにも早く、あまりにもみごとに的中してしまいました。
ということで、北岡は、2020 年から始まった 60 年間の「カオス (混沌)」の時代の中で、「個人も組織も、新しい局面に対応できる新しい価値観を構築」した上で、「この大改革の時代を生き延びていく」ための 21 世紀最新の方法論として、「ノアの方舟」にさせんとして、「メタ心理学」を提唱し始めさせていただきました。
ちなみに、過去、60 年に一度の庚子の年に、いったいどういうパラダイム シフトが起こり、どのタイプの社会変革が始まったか、を知ることは、極めて興味深いことだと思いました。以下に、60 年に一度の庚子の年の年号と、その年からどういった変革が起こったか、を列挙してみます。
2020 年: コロナ禍に象徴される激動の時代が始まった「精神の変革」の元年でした。
1960 年: 「西海岸文化 (ヒッピー文化)」を誕生させた「意識の変革」の元年でした。
1900 年: 「量子力学」、「相対性理論」を誕生させた「科学の変革」の元年でした。
1840 年: (国内ですが) 吉田松陰の叔父が松下村塾を作った「政治の変革」の元年でした。
【割愛】
1480 年: コロンブスの新大陸発見を引き起こした「認識の変革」の元年でした。
このうち、1480 年の庚子の年の 12 年後の 1492 年にコロンブスがアメリカ大陸を発見しますが、ユヴァル ハラリは、その著『サピエンス全史』で、15 世紀の西洋帝国主義者たちが旧大陸から「命も顧みないで」地球の果てまで航海に出て、結果的に新大陸を発見する過程を「認識的革命」と呼んでいます。これを北岡は「認識的拡張主義」と呼んでいます。
北岡は、個人的見解として、「認識的拡張主義」の流れは、上述の (割愛されている変革の時代も含めて) 1840 年、1900 年、1960 年、2020 年から始まった 60 年間の各々の変革の時代まで、綿々と続いてきていると見ていて、自身が提唱し始めた「メタ心理学」は、この首尾一貫した歴史的潮流に基づいた、認識的拡張主義の 21 世紀版の産物である、と考えています。
「FAQ39」では、「メタマインド」等について、さまざまな「公式」が同じことを言っていることが指摘されましたが、この文脈で、ユングの「エナンシオドロミア (Enantiodromia)」、「超越機能 (Transcendental Function)」、「自己実現 (Individuation)」のモデルの分析が可能になると思います。
(聞くところによるとですが、ユング関連のある学会では、これらの概念が何を指しているのか学会員にはわからないので (!)、その学会向けの論文にはこれらの用語を使わないように、という通達が出ているそうです。)
北岡は、個人的には、「二元論のうち否定あるいは抑圧された要素が、後になって必ず意識上に発現すること」を意味するユングの「エナンシオドロミア」は、「マインド、自我、分化」レベルで起こる二律背反の二要素を意味していて、「メタマインド、超自我、再統合」のレベルでこれらの二要素を再統合することが「超越機能」で、その上で、よりホーリスティック (全体的) な自分を達成していくことが「自己実現」でないか、と考えています。
ちなみに、最近、北岡は、個人セッションのクライアントから、超意識へのアクセスを可能にする「三重誘導」トランス ワークについて、「三重誘導中のクライアント役の人に対する三人の誘導者の誘導のし方についてですが、あまりにもポジティブすぎる言葉を使いすぎたら、エナンシオドロミアのメカニズムを誘発するかもしれないので、ネガティブな言葉も交えた方がいいのではないでしょうか」という非常に興味深い質問を受けました。
北岡は、無意識的にはわかっていても、意識化できていないことを、クライアントの方々からのさまざまな質問に触発された後にのみ意識化できるケースが多々ありますが、この質問も、「当然のことだが明示化できていなかったことを明示化する」ことを可能にしてくれました。北岡の (「上」から来た) 即決回答は、以下のものでした。
「いえ、三重誘導トランス ワーク中は、ネガティブな言葉は不要で、ポジティブな言葉だけでクライアント役の人を誘導すべきです。これは、エナンシオドロミアが起こるのは、二律背反が存在している『自我』のレベルだけで、二律背反がまだ起こっていない『前自我』のレベルも、二律背反が止揚統合されている『超自我』のレベルも、二律背反は起こりえないので、超意識 (超自我) へのアクセスを可能にする『三重誘導』トランス ワークでは、そもそも二律背反が起こる心配がなく、一元論的なポジティブな言葉だけを使うべきである、という理由によっています。」
この質問には、三つの局面があると思いました。
1) NLP やメタ心理学のメソッドを学び、習得する場合、4 歳までに完全確立されているプログラミング群 (NLP で言う「世界地図」のことです) を「チャラ」にする (「リバースエンジニアリング」する) 必要があります。
これは、日本人が英語を学習することと似ています。未習得の場合は、英語は難しいと思うかも知れませんが、英語環境から見てみれば、「母国語人」は、猫も杓子も、幼児も、「ごく簡単に、容易に」英語を操っています。
2) 「すでに幼児期に完全確立されているプログラミング群を『チャラ』にする」ことが可能になるためには、自分が現実であると思っているものを仮想現実化できている必要があります。
自分が現実だと思っているものは、実は、幼児期に無限の可能性があったプログラミング群のうち、一部だけが選ばれて、そのプログラミング群の発火のし方 (「FAQ45: 現代脳神経科学者の発見について」で、北岡が「綿飴/ケバブ モデル」と呼んでいる回転体である「脳神経細胞系統」の発火のし方のことです) が単に「恒常化」してしまっているので、「変えられない」と思いこんでいるだけのことです。このケースも、すべての言語を喋る可能性と能力のある赤ちゃんが、たまたま日本語環境で育って、日本語が「絶対視化」され、大人になって他の言語環境で機能できなくなっているだけだ、という比喩が使えます。
3) 北岡は、NLP、特にその派生系のメタ心理学は、「悟りを恒常化させることができる方法論である」と考えています。少なくとも、北岡は、「悟りの恒常化」が達成できるように、「NLP 認識論」をさらに進化/アップデートさせて、メタ心理学を提唱し始めました。
なので、「北岡ワークが難しい」と思うことと「悟りの世界が難解だ」と思うことには、共通点があります。
前項の「FAQ53」で、「『北岡ワークが難しい』と思うことと『悟りの世界が難解だ』と思うことには、共通点」があることを指摘させていただきました。
本項の草稿を書いている時、北岡の「紹介ビデオ」の制作が終わり、以下にアップされていますが、
この中で、北岡は、30 歳までは苦しい地獄のような人生で、どうしても、(インド人導師に) 弟子入りして、「解脱」を実現して、「輪廻のサイクル」から抜け出したかった、という意味のことを、語っています。
この目的のため、北岡は、25 歳の大学卒業と同時に海外に出て、サハラ砂漠、ヨーロッパ、アメリカ等を旅しながら、精神世界の研究を深めていきました。
その過程で、1983 年にオレゴン州で、インド人導師に弟子入りしました。
この導師のもとで、「踊る瞑想」等の修行を続けました (紹介ビデオの 50 秒の箇所の写真には、巨大な吹き抜けの道場で瞑想中の北岡が映っています)。さらに、RIMU 国際瞑想大学で、7 ヶ月間 1,700 時間の「脱催眠療法」のコースを受講し、当時最先端と思われていた心理療法のメソッドを完全習得しました。
その後、1985 年に英国に渡り、2001 年まで滞在しました。その間、現代精神世界を作り出した「重鎮」のマダム ブラヴァツキー、グルジェフ等を研究しました。特に、ブラヴァツキーの『秘密の教義』は、日本の新興宗教すべての教団教義の種本になっているようです。
その後、現代西洋世界の NLP と古代印哲のヴェーダンタがほぼ同じことを言っていることを知り、8 世紀の「非二元論的ヴェーダンタ」の創始者シャンカラチャリヤを徹底研究しました。北岡は、生粋の「シャンカラ主義者」です。
「現代西洋世界の NLP と古代印哲のヴェーダンタがほぼ同じことを言っている」ことについては、北岡は、2000 年に英国で、『CYBERBOOK: 悟りのための統合的認識論』という CD-ROM ブックを、自費出版しました。同書の紹介ページが、以下にあります。
https://office-kitaoka.co.jp/office-kitaoka/cyberbook_online/jp/
ちなみに、シャンカラチャリヤは、宗教団体の教祖等ではなく、純粋に「認識論的哲学者」です。シャンカラチャリヤの著書では、主に、ソクラテス式の「問答法」が使われていて、自分自身が想定した質問に自分自身が答えて、その回答に再度自分自身が質問するという弁証法的プロセスが永遠と続く哲学的議論の内容になっています。
80 年代から90 年代にかけて、「催眠」、「瞑想」を含む変性意識の実践的研究を極め、1989 年の大晦日の日に、ロンドン市で、北岡が「大悟」と呼んでいる悟りを経験しました。
その後は、一度実際に体験したと北岡が考えている「悟りの世界」を、日常生活でも永続的に実現させる目的で NLP 研究と実践を継続して、2001 年に帰国しました。
2001 年から 2012 年まで国内の資格認定業界で、(ワークショップ参加者を含めて) 延べ 2,000 人以上の方々に NLP を教えましたが、残念ながら、この目的で NLP を学ぼうと思っていた人は、ほぼ皆無だったと思います。
その後、2012 年から現在までの間、ライフ コーチとして個人セッションを提供する過程での試行錯誤の末、昨年末になって、メタ心理学を提唱し始めました。
北岡は、「悟り」を定義することは難しいと思っていますが、要は、「生まれる前のあなたの顔と死んだ後の顔は同じだが、どういう顔か言ってください」という禅公案が示唆しているように、悟りとは、生きている間に、生前と死後の世界 (『チベットの死者の書』で言う「バルドー」の世界) を体験することである、北岡は見ています。
その過程の中で、すべての「アンフィニッシュド ビジネス (未解決の問題)」(仏教で言う「業 (カルマ)」) が解消されるので、「解脱者」は、もうこの現象界に生まれる必要はなくなります。
このことについては、「FAQ50: 瞑想について」で、以下を言及させていただきました。
「[ケン] ウィルバーによれば、通常、人間は、生きている間に、『自分と肉体の自己同一化解除』の訓練をしていないので (すなわち、瞑想をしていないので)、死んだ直後、ドーパミンが出まくっている至福状態 (神) になるが、(本来的には、そこでとどまっていればいいのに) 自分に体がないことに気づいてパニックして、一つ下のレベルに落ちて、そこでまたパニックする、ということを 5 回繰り返して、最終的に輪廻として、生まれ変わる、ということです。」
さらに、北岡は、過去数年以上にわたって神経科学を研究してきている過程で、「たとえ解脱者であっても、その人が『生きているかぎり』は、必ず、脳内に、一定の比率のドーパミン、エンドルフィン、セロトニン等のポジティブな神経伝達物質が間違いなく分泌されているはずなので、他の人が同じ比率で該当する脳内麻薬物質を分泌できれば (北岡は、NLP やメタ心理学のテクニックの実践中に、このことが起こりうる、と確信しています)、解脱をモデリングでき、かつ、生きている間に悟りを経験できる」と考えるようになってきています。
以下にある図は、「グリンダー式主観的体験モデル」の図です。
https://www.meta-psychology.info/work/img/jg_model.gif
グリンダー氏によれば、「外界」に何があるかわからないし、そもそも外界があるかどうかも、わからない、ということです。「F1 (フィルター 1)」の「変換の連続」の部分は、北岡の言う「脳神経細胞系統」の「綿飴/ケバブ」モデルの回転体に相当します。
「FA (ファースト アクセス)」は、我々の主観的体験の「世界地図」に相当する部分で、我々がアクセスできるのは、五感のフィルターを通った後の「仮想現実」であって、我々は絶対直接外界を経験することはできない、とされています。
実は、グリンダー氏は、「外界」についてはいっさい口を閉ざしますが、FA の「現象界」については、「我々はどのようにして FA のことを知っているか」の観点から、文字通り「語りに語りまくる」「徹底的認識論者」です。「自分の知らないことについては口を閉ざすが、自分が知っていることの左脳的明示化についてはいっさい妥協しない」という態度は、畏怖を覚えさせます。北岡は、1988 年に同氏のワークに初めて接して以来、首尾一貫して、この点において、同氏の右に出る者はいない、と考えてきています。
(ちなみに、ある時、グリンダー氏に、「グリンダーさんは『神秘主義的認識論者』で、私は『認識論的神秘主義者』だと思います」と言ったら、回答は「そうですね」でした。)
最後の「F2 (フィルター 2)」は、仮想現実 (PC で言えば「モニタ」に相当します) に対する意識的操作 (たとえば、胃が痛い場合、「これは本当に胃が痛いのか、あるいは、女性にふられたので胃が痛く感じるだけなのか」といった内的対話) の部分とされています。
グリンダー氏は、このモデルを提唱した 15 年くらい前に、「F1 の部分は、絶対見える化できないだろうが、できた人はノーベル賞に値するだろう」とおっしゃいましたが、北岡の近年の研究によれば、現代神経科学者たちは、fMRI を使って、まさにこの部分を完全可視化させようとしてきています。
北岡は、1971 年に関西の地方小都市の進学校の高校に入学しましたが、実は、1969 年 1 月の「東大安田講堂事件」の余波がこの年に大阪までに広がり、その後、1970 年に和歌山市に、そして 1971 年に、さらに南下して、北岡が生まれ育った町まで広がったようで、入学時は、この高校で学生運動が起こっている真っ最中でした。入学当時、毎日のように、校長、教頭、教師たちが講堂に呼び出され、一人一人、過激派学生たちによる吊し上げ (「総括」) を受ける有様でした。
(安田講堂事件は、東大の安田講堂に立て籠った全共闘の学生たちが機動隊の放水車の放水を浴び、降伏して逮捕されることによって、(それ以前は、日本に革命が起こるかもしれないと思わせていた) 日本の学生運動の敗北を実質的に決定づけた事件だった、と北岡は個人的に思っています。三島由紀夫によると、三島がある時会って話をした、安田講堂事件の際機動隊の指揮を取っていた現場トップの幹部が、三島に「実は、あれは、何がなんでも、やりすぎでした」と告白したくらいの、警察の威信をかけた「命運を決した戦い」だったようです。
日本の学生運動の終焉を、1972 年の「あさま山荘事件」であると考える人々もいるとは思いますが、この事件は、あくまでも、超左翼の日本赤軍の少数の残党が引き起こした「フリンジ事件」で、社会全般的に見て、全共闘による学生運動全体の終焉は、安田講堂事件だった、と北岡は見ています。)
高校の過激派学生は、岩波新書のマルクスの資本論やフォイエルバッハの哲学書等を読み漁っていて、制服廃止や長髪容認を求めた運動を進めていましたが、右も左もわからない 15 歳の北岡の「若い感性」に、抹消不能の決定的な影響を与えました。
北岡もこの運動に参加して、文芸部を拠点にして、活動していました。当時、主に、「ミュージック マガジン」、「ミュージック ライフ」といったアングラ雑誌を読むことで、西海岸でリアルタイムで起こっていた「カウンターカルチャー」の反体制運動やヒッピーについての情報を入手し、「憧れ」をもち続けました。
このような雑誌を読んでいたとき、(LSD を世に広めたティモシー リアリーの弟子の) リチャード アルパートが、インドに行ってある導師と面会した時、隠しもっていた LSD を出せ、と言われ、差し出したら、この導師は、「オーバードーズ」の量の LSD を摂取した後も、何もなかったかのようにまったく平然としていたので、「悟りは LSD を超えている」と確信して、転向し、「ラム ダス」(2019 年に亡くなられました) となった、いった、超刺激的なエピソードを知って、「僕も、いつかインド人導師に弟子入りする」と決意した次第でした。
文化的には、1969 年に開催された、世界で初めての野外音楽コンサートだったウッドストック コンサート系のヒッピー ミュージック全盛期で、ジャニス ジョップリン、ジミー ヘンドリックス、ボブ ディラン、ジェファーソン エアプレイン、テン イヤーズ アフター、ドアーズ、エリック クラプトン、ジョージ ハリソン、キャロル キング等の音楽に接しましたが、北岡の音楽的なアイコンは、CSN&Y (クロスビー、スティルス、ナッシュ & ヤング) のニール ヤングでした。ヤングは、1972 年のソロアルバムの「ハーベスト」で世界的に有名になりましたが、北岡のお気に入りは、1969 年のデビュー アルバムから 1970 年の「アフター ザ ゴールド ラッシュ」までの初期の 3 枚の LP でした。
また、当時の北岡の文学的なアイコンは、大江健三郎でした。
実は、北岡は、小学校 4 年の秋から卒業時まで、肢体不自由児と知的障害児を収容した養護施設に入所していて (この施設で、極度のトラウマ体験をしてしまい、その後の社会復帰がままならなくなりました)、正規の学校で 5 年生から 6 年生時に学ぶべき漢字をいっさい学んでいなかったので、中学校時代の国語の成績はかなりひどいものでした (そのわりに、英語と数学の成績は、なぜか、クラスでトップ級でした)。そういう国語力で高校に入学したので、1 年生の時に、文芸部に所属して、毎日、文庫本を一冊以上読むという決意をして、その習慣を続けていたら、ある時、北岡の国語力は飛躍的に伸びました (実は、当時、何十冊にもおよぶノートを書いていて、このことも、高校時代、北岡の国語力を向上させることに大きく寄与したと思います。ただ、当時の北岡の内的成長の過程を伺うこともできたはずのこれらのノート群は、残念ながら、北岡が英国に滞在している時、国内の実家の母親によって焼却処分されてしまいました)。
そんな時、学生運動をしていた先輩の一人が大江の『日常生活の冒険』を読んで、16 歳で、高校を休学して、ミクロネシアに 1 年滞在した後、復学した、という話を聞いて、この小説を読んでみましたが、北岡の人生を変えた本になりました。
『日常生活の冒険』は、冒頭、アフリカ北岸の街で、主人公の友人の斎木犀吉が自殺したという話から始まりますが、決定的に、後年、北岡がアフリカ北岸のサハラ砂漠に行くことに影響を与えていますし、また、斎木犀吉は、単語帳のようなものをもっていて、表にトピック、裏に哲学的考察を書いて、もち歩いていたのですが、実は、本 FAQ で北岡が多岐に渡るトピックについて、自由奔放に質疑応答しているスタイルは、斎木犀吉をモデリングした結果だ、と言えます。
北岡が特に影響を受けた、大江の他の小説としては、『個人的な体験』、『空の怪物アグイー』、『芽むしり仔撃ち』、ノーベル賞受賞対象となった『万延元年のフットボール』等があります。
たしか大学入学後、手紙を介して、大江に弟子入りを申し出た際、「弟子は取らない」と断られたこともありましたが、北岡の大江への興味は、実質的に、高三の時に読んだ 1973 年の『洪水はわが魂に及び』までで、大学 1 年の時に読んだ 1976 年の『ピンチヒッター調書』は、ピンときませんでした (「ハーベスト」以前の初期のニール ヤングを評価していることと似ています)。
ちなみに、大江健三郎が東京大学の仏文科卒だったので、北岡も仏文科に進みたいと思った次第でした。高校時代は、学生運動に明け暮れていて、まともに勉強しなかったので、さすがに東大を含む国立大学は無理だと思ったので、私立有名校の入学を目指しました。結果的に二浪して大学に入ったのですが、実は、現役の時に受けた母校の入学試験の国語の問題は、なんと前年に刊行されていた大江の『洪水はわが魂に及び』からの引用でした。試験場であまりも驚いたことと、小学校時の漢字の未学習の余韻もあって、「つのる (募る)」という漢字問題に正解できなかった、という記憶があります。
大学入学後、文芸サークルに入り、小説家を目指し、長文を書く、米作家のフォークナーや仏作家のプルーストの影響を多大に受け、卒論 (学士論文) は、『「ジャン サントゥイユ」におけるプルースト的方法論の端緒』(原題は『Sur La Genèse de la Méthode Proustienne dans Jean Santeuil』) というタイトルでフランス語で書きました (この卒論は、今だに手元にあります)。ちなみに、在学中、プルーストとニール ヤングへのオマージュだった『過去への旅路』という連載小説を「ミオシス」という同人誌に連載した後、北岡は「筆を折って」、実際の「在野の世界」に生きたい、という思いから、卒業後はアフリカ北岸のサハラ砂漠に行くことを決意しました (母校の創設者の大隈重信は「在野精神」を唱えたようですが)。
ちなみに、二、三年前に、ネットで調べたら、『過去への旅路』の「その一」が掲載された「ミオシス」同人誌の 1977 年 5 月号を見つけたので、セカンドハンド書を購入しました。以下に、北岡の小説のページの PDF コピーがアップされています (『過去への旅路』の「その二」が掲載された「ミオシス」の号は、まだ見つけるに至っていません。)
https://www.meta-psychology.info/work/img/journey.pdf
北岡の現在の「複雑」な文体と NLP 的な「ネスティッド ループ」的な話し方等は、大江の『万延元年のフットボール』、フォークナーの『アブサロム アブサロム』、プルーストの『失われた時を求めて』等の影響を色濃く受けているという自己認識をもっています。
編集後記: 本 FAQ に「当時、主に、『ミュージック マガジン』、『ミュージック ライフ』といったアングラ雑誌を読むことで、西海岸でリアルタイムで起こっていた『カウンターカルチャー』の反体制運動やヒッピーについての情報を入手し、『憧れ』をもち続けました」と書かせていただきましたが、この 70 年代の、欧米から輸入される、西海岸文化を含んだ文化的情報の扱い方について、数年前に興味深いことが起こりました。
当時、北岡のワーク参加者で、パワーグッズを扱っている若い男性の方がいて、「オルゴナイト」というグッズを北岡にプレゼントしてくれて、これは、「ウィリアム ライヒ」のオルゴン エネルギーから派生しています、と言われたので、「ライヒは私の高校時代のアイコンでした」 (高校、大学時代、北岡は、フロイト、ユングに次ぐ No.3 の精神分析家であるライヒを研究していました)、と言ったら、「そんな、何十年前の (情報のなかった) 時代にライヒとオレゴン エネルギーのことを知っていたなんて、驚きです」と言われました。北岡は、「以下の意味の内容」のことを伝えさせていただきました。
「いや、それは、考え方が逆ですよ。以前は、情報が少なかったので、逆に、日本に紹介する数少ない書籍、雑誌の編集者は、『それなりに目利き』があって、いわゆる『いいもの』だけを選りすぐって日本に紹介していたので、サブカルの雑誌 (『ミュージック マガジン』等) などを読めば、『グノーシス』(「FAQ33: 『グノーシスとエピステーメ』について」を参照してください) 的に重要で、必要な知識は、間違いなくカバーすることができましたよ。
反面、今は、ネットでありとあらゆる (ごく少数の) 本物と (ほぼ大部分の) 嘘と塵のような『エピステーメ』(「FAQ33」を参照してください) 的な知識が広く浅く浸透、蔓延しているので、誰もその真偽の判断がまともにできない時代になっています。その中で、現代社会において、貴方が (普通の人は知らないであろうような) ライヒとオルゴン エネルギーについて知るようになったのは、逆に驚きですよ!」
思うに、70 年代は、『ミュージック マガジン』の編集長だった中村とうよう (79 歳で自死されました) 等が、「漏斗の出口」となって、彼らが重要だと思った情報を吟味選抜して日本に伝えていたので (これも、もちろん、大衆洗脳の一種ではありますが)、いわば、読者は、その限定された情報 (グノーシス的情報と、言っていいと思います) にかぶりつき、大事に扱い、自分自身のさらなる個人的研究に役立てていたと思います。
一方、ネット (特に、最近生まれた ChatGPT のような「GAI (生成系 AI)」) 社会の現代社会では、いわば「CPU 的門番」がいないので、(浅薄な) エピステーメ的情報が無数に垂れ流しされ、かりのもしごく一部にグノーシス的情報があったとしても、誰もその識別区分ができなくなっている極めて危険な状況が生まれている、と北岡は思っています。
前項の「FAQ56」でも書かせていただいたように、高校時代の北岡のアイコンの一人は大江健三郎で、大江が東京大学の仏文科卒だったので、北岡も、私大の仏文科に進むことを決めました。
母校の大学 (ちなみに、人格形成の観点から言って、北岡にとって人生で一番興味深かった時期は、北岡の若き感性に決定的な影響を与えたユニークな学生運動家が多かった高校時代だった一方、大学卒業後の北岡の人生は「最も波乱に富んだ」時期になりましたが、実は、その間の大学生活の (「モラトリアム」の期間だった?) 5 年間が、北岡にとって、「文字通り、人生で最も不毛」な時期でした) では、最初の 2 年間が教養課程で、3 年次から各専攻に分かれる教育体制になっていました。
2 年生の時に、北岡には、その後、自身の天職となる心理学の研究に対する興味が徐々に強くなっていったので、心理学科に進むことも考えましたが、母校の心理学科は「鼠の研究に明け暮れている」ということを耳にしたので、当初の希望通り、仏文科に進みました (近年の北岡の神経科学の研究によれば、神経科学者は、鼠を含む動物実験に「明け暮れている」ようなので、心理学科を断念した選択の理由自体は、実は、それほど悪いことでもなかったのでは、とも思えています)。
「FAQ56: 大江健三郎について」では、以下のことも書かせていただきました。
「大学入学後、文芸サークルに入り、小説家を目指し、長文を書く、米作家のフォークナーや仏作家のプルーストの影響を多大に受け、卒論 (学士論文) は、『「ジャン サントゥイユ」におけるプルースト的方法論の端緒』(原題は『Sur La Genèse de la Méthode Proustienne dans Jean Santeuil』) というタイトルでフランス語で書きました (この卒論は、今だに手元にあります)。ちなみに、在学中、プルーストとニール ヤングへのオマージュだった『過去への旅路』という連載小説を「ミオシス」という同人誌に連載した後、北岡は「筆を折って」、実際の「在野の世界」に生きたい、という思いから、卒業後はアフリカ北岸のサハラ砂漠に行くことを決意しました (母校の創設者の大隈重信は「在野精神」を唱えたようですが)。」
大学一年の時、その後北岡の卒論を査定されることになる仏文の教授 (当時助教授だった小林茂先生) が、「ここには、ICU、上智のように、聴覚ラボのような仏語学習の環境はないので、仏語を学びたければ、日仏学院かアテネフランスに通ってください」とおっしゃったので、びっくりしました。その後、北岡は、2 年次から、飯田橋の日仏学院に 4 年間通い、仏語をマスターしました。
仏文科に進んだ後は、アラン ロブ グリエ等の「ヌーヴォー ロマン (新小説)」に興味をもち、その源泉で、20 世紀最重要の小説家の一人だったマルセル プルーストを卒論の対象にすることにしました。
『失われた時を求めて』は偉大な小説だとは思いましたが、卒論 (学士論文) は、プルーストの習作『ジャン サントゥイユ』について、『プルースト的方法論の端緒』というタイトルで仏語で書きました。実は、北岡は、4 年次に半年間フランスに自費留学して、一留したので、仏語で書けるだけの (通常より 1 年多い) 仏語学習の時間をもつことができていました。
(当時、母校の仏文科の学生に関しては、いっさい仏語を喋らず (実際、高齢で有名な仏文学教授の仏語の詩の朗読は、浪花節調で、ひどいものでした (笑))、卒論の関連書籍を翻訳だけで読み、日本語の卒論を書くことが一番格好がいい、と言われていたようです。また、学科を中退することが高評価されていて、4 年次の仏留学後、帰国して復学して一留で卒業しようとしたら、同級生に「これで、貴方もただの普通の人になりましたよね」という冗談を言われました。)
ちなみに、『失われた時を求めて』の冒頭で、主人公のマルセルは、紅茶に浸したマドレーヌの味で、突然、幼児期の記憶が蘇り、そこから自分の人生と貴族の人々との関係の歴史を思い出し、数千ページにわたって、その蘇った記憶の内容が展開していき、小説の最後で、「私は小説家になるのだ」と決意して、冒頭のシーンに戻るという「循環小説」になっています。
この「マドレーヌの瞬間」を、プルーストは「特権的瞬間」と呼び、プルースト的方法論に強く影響を受けている Netflix の番組『初恋』(非常にすばらしい映画作品だと思いました) では、「プルースト的効果」、「無意志的記憶」と呼ばれていますが、これらの用語は、NLP でいう「アンカーリング」(「FAQ59」を参照してください) のプロセスそのものです。
また、『失われた時を求めて』の冒頭の最初の文章は、関係代名詞と関係副詞だけが使われた、ピリオドがない、数ページに及ぶ単一の文となっています。北岡は、在学当時、これらの極めて込み入った「入れ子の中の入れ子の中の入れ子」になっているような文を完全に構文分析することができ、この世とは思えない複雑極まる無数の樹木でできあがっている森を見ているような審美体験をもちました。
『失われた時を求めて』の複雑極まる文章は、「フラクタル性」、「ノンリネア性」、「入れ子性」、「再帰性」等の観点から見て、NLP で言う「ネスティッド ループ」に基づいたプレゼン法と、類似点が多々ある、と北岡は考えています。
いずれにしても、北岡の大学時の学士論文と、その後天職となる NLP の研究の間に類似点が多々あることが後年判明したのは、実に興味深いことでした。
「エサレン研究所」は、カリフォルニア州ビッグ サーにあった 60 年代、70 年代に、世界のセラピスト、心理学者、哲学者等が集まった、メッカ的な存在の心理療法研究所でした。
マイケル マーフィーとディック プライスが創設した同研究所は、アブラハム マズローが関与した「ヒューマン ポテンシャル」運動における最大規模の「成長センター」であり、「自己実現」の主体である人間の「人間性」や「人間の潜在能力」を、回復、発展させることを目的として、無数の実験的なセラピー ワークが開講されました。
エサレン研究所に集まった当時の重鎮には、マズロー、グレゴリー ベイツン (NLP の父)、オルダス ハックスリー (英国人の哲学者)、フリッツ パールズ (ゲッシュタルト心理療法の創始者)、アーノルド ミンデル (プロセス思考心理学の創始者)、カール ロジャース(クライアント中心療法とエンカウター セラピーの創始者)、スタニスラフ グロフ (トランスパーソナル心理学国際学会の初代会長)、フレデリック M アレクサンダー (アレクサンダー テクニックの創始者)、モーシェ フェルデンクライス (フェルデンクライス メソッドの創始者) 等がいました。
北岡が 1983 年と 1985 年に、オレゴン州の師匠のコミューンの RIMU 国際瞑想大学で 7 ヶ月間 (1,700 時間) 続いた「脱催眠療法」コースを受講した際、プライマル、エンカウンター、サイコシンセシスその他のハード セラピーを受けましたが、これらのセラピーはエサレン研究所から派生したものでした。
実は、19 世紀末に生まれ、キリスト教の教会の「懺悔の伝統」に取って代わったので、その後数十年にわたって世界を大席巻することになったフロイトの精神分析では、精神分析家が、クライアントに話をさせ、幼児期のトラウマについて語らせるだけでトラウマ解消に繋がる、とされていましたが、実際には、それだけでは解消されなかったという反省から、60 年代に生まれたエサレン研究所式のハード セラピーでは、クライアントに五感で幼児期のトラウマ体験を「再経験」させたらトラウマは解消される、と信じられていました。
ただ、このモデルは、二つの大きな理由から、実際には機能しないことがわかりました。一つ目は、(当初、NLP 共同創始者のジョン グリンダーの弟子だった) アンソニー ロビンズが『Unlimited Power』で示唆しているように、クライアントがやかんの中に溜まった蒸気を解放させるためにハード セラピーに参加して、セラピストにやかんの蓋を開けてもらっても、2 週間もすれば、自動的に蓋が再度閉まって、蒸気が溜まるので、再度同じセラピストからセラピーを受ける、というプロセスを続ける必要が出てくる点です (ロビンズは、他方、NLP のような方法論は、ジュークボックスの中の配線替えを可能にしたので、クライアントの変化は恒常化される、とも示唆しています)。
二つ目は、非常に逆説的ですが、クライアントの過去のトラウマを解消することを支援するという施術者側の「善意」の気持ちから、クライアントに、トラウマを五感で再経験させる場合、クライアントは、嫌な過去の記憶を臨場感をもって、何度も思い出す必要があるので、トラウマが解消されるどころか、逆に強化されてしまう、という点です。
実際、北岡が 1985 年前後にパリにいた時に勧誘されて、EST (エアハード トレーニング セミナー。このセラピーもエサレン研究所に影響を受けていました) のワークに参加したことがありますが、1 週間の合宿中は、参加者は目隠しをされ、最終日に参加者は車座になって一人づつ順番に自分の感情を吐露しましたが、一人の女性が洗面器をもって真ん中に行き、そこで小水をし始めたのですが、北岡は、この時、ハード セラピーの「成れの果て」を見た、と思いました。
当初、以上のようなエサレン研究所式のハード セラピーの問題点を解決できるセラピーの代替学派として、NLP が 1975 年に UCSC (カリフォルニア大学サンタクルーズ) で生まれたという歴史的経緯があります。
ハード セラピーの問題点を解決した NLP の最大の特徴には、1) クライアントに問題の内容を話してもらう必要がいっさいなくなった、2) 問題の内容ではなくそのプロセスを扱うので、重度の心理的問題でも一回のセッションで解消できる「短時間療法」である、3) 問題のプロセスを扱うテクニック (演習) は、数学の公式のようなもので、そこにどのような問題を適用できる汎用性をもっている、といった点があります。
特に、NLP が「2) 問題の内容ではなくそのプロセスを扱うので、重度の心理的問題でも一回のセッションで解消できる『短時間療法』である」点は、1975 年に終結したベトナム戦争の帰還兵が帰国し始めた時、トラウマを抱えた帰還兵が極めて数多くいたので、時間のかかる従来のセラピーでは対応しきれないという緊急の課題を解消することに貢献しました。
歴史的に見て興味深いことは、以上の歴史的背景として、NLP は「打ち止めのセラピー」として 1975 年に生まれたのですが、実際、どれだけ北岡が調査しても、1975 年以後は、メジャーなセラピーの新学派は、ほぼいっさい生まれていない、という事実です (北岡の知るかぎりにおいて、その例外は、「オーラソーマ」セラピーとバート へリンガーの「家族の座」だけです)。
最近、「今からエサレン研究所を訪れたらどうなりますか?」という質問を受けたことがありますが、北岡自身は、エサレン研究所は、今は、「死語」になっていると思います。ある人からは、「現代版エサレン研究所は、ブラジルにある、シャーマンが使う薬草のアワヤスカの研究所だと思います」ということを聞いたことがあります。
北岡は、「アイソモルフィック メタファー (異種同形の比喩)」として、あることを指すために、極めて多数の用語を使うことがあります。これは、指を使って、月を差し示しているようなものですが、月を知らない、もしくは月を見ようとしない人々は、指にだけ関心をもって、本当の実体を見ようとはしなくなっています。
たとえば、行動心理学の「条件反射」のモデルを人間に適用したメカニズムを、NLP では「アンカーリング」と呼んでいますが、北岡は、アンカーリング (「月」) を表す用語として、30 のコンセプト (「指」) の表を作っています。この表は、以下にあります。
https://www.meta-psychology.info/work/img/anchoring.pdf
この 30 のコンセプトのうち、指ではなく月として、代表格のコンセプトを選ぶとしたら、北岡は、最もみごとに「アンカーリングのプロセスを左脳的に定義すること」に成功している「SDMLB (State Dependent Memory, Learning and Behavior、状態依存の記憶/学習/行動)」を選びます。
SDLMB の解説については、「FAQ48: 『ゾーン状態』について」を参照してください。
編集後記: 本 FAQ にある内容は、古今東西の精神世界のモデルすべてを止揚統合しようとして「四象限モデル」を開発したケン ウィルバーに倣って、北岡自身の「ノーマインド → マインド → メタマインド」の「三位一体説」の公式を、他の学派あるいは思索家のモデルと統合しようとする北岡の野心的な試みとなっています。
様々なモデルが引用されているので、たとえば、本来的には「メタマインド」のレベルにあるべき「純粋意識」が、ある公式では「ノーマインド」のレベルで使われているといった「用語使用上の矛盾」が存在しています。これは、「純粋意識」等をどう定義するか、に依存している問題です。
また、本 FAQ の内容は、まだ暫定的なモデリングの結果で、今後北岡の主張が変わる可能性があることを、予めご了承ください。
さらに、各公式にある矢印 (「→」) は、進化の方向を表している記号ですが、矢印の前の項目が後ろの項目を作り出しているのではなく、逆に、矢印の後ろの項目が後の項目を作り出している、ということを表しています。
北岡は、「FAQ39: 『メタマインド』について」で述べたように、北岡自身の「ノーマインド → マインド → メタマインド」の「三位一体説」の公式のモデルは、他の思想家によっても、「手を替え品を替え」さまざまな形の公式が提唱されています (以下に公式比較図があります)。
https://www.meta-psychology.info/work/img/metamind.png
本「メタ心理学ワーク FAQ」群を書き始めた後、北岡は、この公式比較図にさらにいくつかの公式の変形バージョンが追加できるのは、と思いました。
一つ目は、上述の公式図の「印哲」の欄と「論理性」の欄を組み合わせたバージョンとも言える「一元論の純粋意識 → 二元論の現象界意識 → 非二元論の超意識」の公式です。
この公式では、「一元論の純粋意識 → 二元論の現象界意識 → 一元論の純粋意識」が「輪廻」のプロセスであり、「一元論の純粋意識 → 二元論の現象界意識 → 非二元論の超意識」が「解脱」のプロセスではないか、と北岡は考えています。
二つ目は、「アグノーシス (無知) → エピステーメ (人間知もしくは AI 知) → グノーシス (霊知)」の公式です。
この新公式については、「FAQ26:『シンギュラリティ』について」と「FAQ33:『グノーシスとエピステーメ』について」を参照していただきたいですが、「ビッグデータ処理能力」である左脳知である「エピステーメ (情報知もしくは人間知もしくは AI 知)」と「ビッグデータの統語解析能力」である左右両脳知である「グノーシス (体験知もしくは霊知)」の間には、絶対に橋渡し不能のギャップがある、と北岡は考えています。
三つ目は、「FAQ24:『ボディ/マインド/スピリット』について」の議論に基づいた「一元論のボディ → 二元論のマインド → 非二元論のスピリット」の公式です。
四つ目は、「FAQ25: ChatGPT について」で、ChatGPT に対してした以下の質問と関連しています。
「Q: Is the Body/Mind/Spirit model exclusively a Christian model, or can it be found also in the other religious disciplines?」
ChatGPT の返答 (一部のみ引用) は、以下の通りでした。
「A: In Hinduism and yoga philosophy, the tripartite self is often represented as the three gunas, which are qualities of nature that influence human behavior: sattva (balance and harmony), rajas (activity and passion), and tamas (inertia and ignorance).」
以下が、DeepL 翻訳文です。
「Q: 身体・心・精神のモデルはキリスト教だけのものですか、それとも他の宗教分野にもあるのでしょうか?」
「A: ヒンズー教やヨーガ哲学では、三位一体の自己は、人間の行動に影響を与える自然の性質である3つのグナ(サットヴァ(バランスと調和)、ラジャ(活動と情熱)、タマス(惰性と無知))として表現されることが多い。」
この ChatGPT との「三グナ (性質)」に関連した質疑応答に基づいて、四つ目の公式として、「タマス (静) → ラージャ (動) → サットヴァ (和)」成り立つのでは、と思いました。
ということですが、いずれにしても、これだけ多くの公式 (本 FAQ で追加された 4 つの公式を「三位一体説の公式比較図」の 7 個に加えると、全部で 11 個となります) の「指」が同じ「月」を表していることには、北岡は、「畏怖」を感じています。
そして、さらなる畏怖を感じさせることは、「FAQ27: 中国の『陰陽(二元論)』と印哲の『グナ(三元論)』について」で、インドの「グナ (三元論)」の議論で示唆されているように、これらすべての三元論の公式については、その三元論を見ている「メタ (観照者)」がいる (上述の公式比較図には、三元論を囲んでいる円はありませんが、この場合、その三元論の項目が書かれている紙面そのものが「メタ」となります) という「四元論」が隠されています。
なので、北岡は、「おそらく世界は四元論およびその相互交流でできているのではないか」と、今、考えています。
さらに言うと、以上のことを思索中の北岡は、この四元論の要素の「相互交流」を体感することを可能にするような演習の「素案」にも気づきました。
もし仮になのですが、メタ心理学の一環として、実際に四元論の要素の「相互交流」が体感できるような演習が開発されたとしたら、メタ心理学は、今後、まさしく印哲等を超えうる「悟りの心理学」の方法論と呼んでもいいような発展を遂げていくだろう、というワクワクする予感を、今、北岡はもっています。
乞うご期待ください。
北岡は、欧米滞在時の 1988 年の NLP 学習開始当時から、交通事故・病気等による幽体離脱や臨死体験、その他の超常現象、滝打ち・断食・千日修行を含む修験道等の修行、瞑想、催眠、ドラッグ摂取、その他の「変性意識誘発手段」を通じて、「通常は絶対に外に出れないと思われている『マトリックス』(場合によっては、『此岸』、『現象界』等と言い換えることもできます) を超えた『向こうの世界』(『彼岸』) を、一度でも実際に見たことのある人であれば、『彼岸から此岸に戻った』後、現象界において、NLP のテクニックをを通じて、その特定の手段に頼ることなしに、まさにその精神状態そのものを自由自在に再現・再体験できる」と主張してきています。
(この衝撃的なことが可能になる根拠には、たとえば、完全解脱を達成した聖人であっても、「その人が呼吸して、生きているかぎり、脳内で一定の比率の脳内伝達物質が分泌されているので、その解脱者が達成している精神状態と同じ比率の脳内伝達物質を『人為的』に分泌させることで、その精神状態を他の人にも再現させることができる」という (直感的にはしごくありえるように思われる) 北岡自身の確信があります。)
ただ、もし仮に北岡のこの主張に妥当性があるとしても、一つ大きな問題があります。それは、
「向こうの世界 (彼岸) を体験したことのない、生まれてこの方『一度も現象界 (此岸) から出たことのない』人は、『参照枠』がないので、どれだけ NLP の方法論を使っても、レモンの味を知らない人はレモンの味は再生できないように、彼岸の経験を再生・再体験することは、論理上、不可能である。」
という抜本的な命題です。
北岡が提唱する「メタ心理学」が生まれた背景としては、いろいろな導師、哲学者、認識論者、自己啓発系の教師等の教えに大きな影響を受けてきていますが、その一つに、ロバート シャインフェルドの「ザ プロセス」というメソッドがあります。北岡は、知り合いの方のワークショップで、「シャインフェルドの方法論は、絶対脱出不能の『マトリックス』からの脱出法である」という紹介を通じて、このメソッドのことを知るようになりました。
シャインフェルドの本によれば、この世の中には「神的意識」(サンスクリット語で言う「プルシャ」) と「現象界」(サンスクリット語で言う「プラクリティ」) の二つの世界があり、人間は、生まれたときは純粋神的意識にいるが、大人になる過程で、そのエネルギーが現象界に吸い取られ続けて、そのことによって、ホログラフィー的な性質をもった現象界がその人の「内的現実」になってしまっているだけなので、逆に、現象界から神的意識にエネルギーを取り戻すためのマントラを唱え続けたら、どんどんその現象界は消えていき、最終的に神的意識だけが残ることで、「通常は絶対に外に出れないと思われている『マトリックス』から脱出する」ことが可能になります (この「ザ プロセス」のメソッドの要約は、北岡の理解に基づいた主観的表現です)。
このシャインフェルドのメソッドに影響を受けた北岡は、その後、「現象界」(すなわち「仮想現実」) から自分を外に出すシミュレーション操作をして、その現象界の外に出た自分に、「神的意識」 (「メタ意識」) の視点から、NLP テクニックが実践できるように「訓練」して、その後、新しいリソースを得た自分を現象界に戻すことで、今まで「現実」だと思っていた世界を「仮想現実化」することができ、かつ、その仮想現実を、自分の思うままに変えることを可能にさせる「RPG ゲーム」というテクニックを独自開発することに成功しました。
さらに、最近、北岡は、「RPG ゲーム」は、「ボディ/マインド/スピリット」の三位一体間の「調和」を図るワークだということに、後追い的に、気づきました。
すなわち、このワークは、「通常は、『現象界 (ボディ)』に埋没してしまっている『自己意識 (マインド)』を現象界の外に出し、『メタ意識 (スピリット)』がその自己意識を浄化させた後、再度現象界に戻す、という『ボディ/マインド/スピリット整合』ワークなのですが、個人的には、この『RPG ゲーム』は、古今東西の誰も成し遂げなかったような、もしかしたらノーベル賞級の方法論の発見である」と思ってきています。
ということなのですが、本 FAQ の文脈上、以下の結論が導き出せると、北岡は考えています。
「NLP は、『向こうの世界』を実際に見たことのない人に、その世界を再現させることはできないが、『RPG ゲーム』を含む北岡独自開発のテクニックに基づいた、『NLP の進化バージョン』としての『メタ心理学』は、『現象界』の要素を段階的に消滅させて行って、最終的に残る純粋神的意識にテクニック実践者を導けるので、『向こうの世界』を実際に見たことのない人 (レモンの味を知らない人) にも、最終的に『向こうの世界』を体験させる (レモンの味を味わせる) ことが可能になっている。」
なので、本 FAQ の結論は、「メタ心理学はマトリックスからの脱出法になりえる」というものです。
もし本 FAQ の記述が妥当であれば、「メタ心理学」は、文字通り、「悟りの心理学」である、ということになります。
ちなみに、これまで北岡が独自開発した「RPG ゲーム」、「ピーク エクスペリエンス体感ワーク」、および、この二つのテクニックを組み合わせた「明鏡止水」テクニックは、北岡体験紹介セッション等で、クライアントの方に紹介・施術させていただいています。北岡体験紹介セッションにご興味がある場合は、以下に、特別受講費割引での「特別限定オンライン『メタ心理学』ワーク」体験セッションの申込ページがあります。
北岡は、通常我々が「現実」と思い込んでいるものは、我々自身が四歳までに確立してしまっている「プログラミング群」でしかない、と考えてきています。
すなわち、人間は、元々、「プログラミング群」がない「純粋神的意識」として生まれるのですが、社会的生活を恙なく送るという目的のために、徐々に家族や社会の構成員によって「人間化」(すなわち「プログラミング」) されていき、だいたい、四歳までに決まったプログラミング群を確立することを余儀なくされます。この「決まったプログラミング群」は、NLP では、「世界地図」と呼ばれてもいます。
このプログラミング群は、大人になった時点では、ほぼすべて無意識化されているので、人間は、通常、それらに支配されていることに気づいてもいません。
このプログラミング群の存在を知るためには、「メタ認知能力」が必要になりますが、この能力を向上させることができる NLP と「NLP の進化バージョン」としての「メタ心理学」の各テクニックによって、「リバースエンジニアリング」をして、最終的には、これらのプログラミング群を解除することができるようになっています。なので、北岡ワークは「プログラミング群解除ワーク」である、と言うこともできます。
これに関連して、北岡は、興味深い動画を作っています。
この動画では、Windows OS 上での Word のウィンドウの閉じ方が実演されています。
通常は、最初の三つの閉じ方が知られていますが、四つめの閉じ方を知っている人は、あまり多くいないと思います。北岡が、この閉じ方を知っていたのは、過去、90 年代に英国で、ローカライゼーション翻訳業に従事していて、HTML エディタの事実上の標準ソフトだった Dreamweaver のバージョン 2 を日本語に翻訳したことがあったからです。
ちなみに、動画で紹介されている Word の四つの閉じ方以外にも、「キーボードによるショートカット入力」、「強制終了」の二つがあり、計 6 つとなります。
この動画には、以下の二つの意味合いがあります。
1) NLP 共同創始者のジョン グリンダー氏は、「ある時点で、選択肢が一つの時は、人間はにっちもさっちもいかない状態にあり、二つの時は、ジレンマに陥ってしまう。選択肢が三つある場合、任意の一つ目と二つ目の間にジレンマがあれば、三つ目の選択肢に『抜ける』ことができる。このため、人間は、三つ以上の選択肢をもてた時、初めて自由になる」という名言を吐かれています。
2) 北岡は、人間は誰しも、四歳までに、文字通りありとあらゆる試行錯誤を通じて、ある特定の目的 (たとえばですが、「パニックになる」等) を達成するために脳内の神経細胞系統の回路を、「一つがだめでも次の手がある」式の「予備バックアップ回路」として、おそらく無数に作ってしまっている、と考えています。
このため、たとえば、ある NLP 演習によって、「刺激と反応の間にスペース」を作ることで、「条件反射」を克服して、ある「未解決の問題」が解決されたとしても、それは、正面の投手から投げられる直球に対処できただけのことになります。
実際には、四歳までの自分 (自分の「無意識」に近いです) は、無数の試行錯誤の末、カーブもスライダーもシンカーも、何種類も投げられるようになっていて、「たった一回の直球の処理法の体得」だけは、すべての球種に対応することはできなくなっています。
なので、本当の意味で、四歳までに自分が確立したある目的を達成するための脳内の神経細胞系統の回路すべてに対応できるようになるためには、一定回数以上の NLP 演習の自己適用の反復が必要になってきます。
北岡は、2001 年の英国からの帰国後、国内の方々に、一回の NLP 演習の実践で、「自分の頭に電極を入れて、明日から、ロボットのように、外国語をスラスラ喋れるようになる」といった奇跡が起こりうると考えている人が多いことに気づきました。
この人々は、一つの球種の直球の処理を一回行うだけで充分だと考えているようですが、すべての球種に対応できるようになるためには、ある程度の継続的な自己適用が必要だということに、気づいていないようです。
また、NLP やメタ心理学のワークで、四歳までのプログラミング群を、リバースエンジニアリングして、解消する際、その解消の具体的なし方を、(小中学校の先生を「投影」した) 施術者に聞く人々もいますが、実は、そもそも四歳までに決まったプログラミング群を確立したのは、紛れもなく、自分自身なので、そのプログラミング群の具体的な解消のし方を知っているのは、世界中で、実は、自分自身だけです。施術者は、解消方法を教えることができるだけで、その方法に従って、あくまでも、自分自身で解消する必要があります。
このため、「アンフィニッシュド ビジネス (未解決の問題)」の一つ一つの地道な解消作業を継続していかないと、「自己アイデンティティの拡張」が起こりませんし、自由にもなりません。
通常は、「一つ一つアンフィニッシュド ビジネスの地道な解消作業」は、かなりしんどいルーチン ワークで、「三日坊主」が生まれやすいですが、メタ心理学では、この作業を「ワクワク感」をもちながら継続することを可能にする「ピーク エクスペリエンス体感ワーク」が用意されています。
ちなみに、これまで北岡が独自開発した「RPG ゲーム」、「ピーク エクスペリエンス体感ワーク」、および、この二つのテクニックを組み合わせた「明鏡止水」テクニックは、北岡体験紹介セッション等で、クライアントの方に紹介・施術させていただいています。北岡体験紹介セッションにご興味がある場合は、以下に、特別受講費割引での「特別限定オンライン『メタ心理学』ワーク」体験セッションの申込ページがあります。
北岡は、これまで、以下のタイトルのエッセイを執筆してきています。
* 「誰も書かなかった NLP 創始者 についての裏話! Ver. 3」(2022 年 7 月)
* 「レモンの味を知らなくてもレモンの味を創出できる方法論:完全解説 Ver. 3」(2016 年 9 月)
* 「個人的天才になるためのコツ発見される!」(2022 年 7 月)
* 「いかにして自己啓発難民が 『ワクワク人間』になったか」(2022 年 11 月)
今回、これらのエッセイを、以下のページで、限定期間公開することにいたしました。
北岡は、最新エッセイ「メタ心理学と ChatGPT: マトリックスからの脱出法」を執筆済みです。
以下が本エッセイ (全 25 ページ)の目次です。
0. 前書き
1. メタ心理学とは?
2. AI 翻訳の量子的転換点
3. 脱出不能のマトリックスからの脱出法
4. メタ心理学は「ノアの方舟」になりえるか?
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